夢をかなえるゼイ

夢をかなえるゼイ

2011年9月16日 (金)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その34

ドリームズ・カム・トゥルー


「何としても合格したい!」

その誰にも負けないほどの強烈なマインドが国税庁に通じたのか、
その年一気に2科目合格でき、私の悪戦苦闘記はピリオドを打つことに
なります。


12月の合格発表の朝、まったく仕事の手につかない私は、
会計事務所をこっそり抜け出し、合格者名簿を手に入れるために
わざわざ官報販売所まで行きました。

合格発表は今ならWeb上で見られますが、当時は、郵便の合格通知を
待つか、官報で確認するしかなかったのです。

官報を買って、震える手で自分の名前を探しました・・・。
名簿に自分の名前を見つけた瞬間、まさに天にも舞い上がるような
気持ちでした。

当時は携帯電話なんか持っていなかったので、
とにかく妻に合格を伝えようと電話ボックスに走りました。
慌てた私は、試験の直前にお守りにもらった大事な
「湯島天神のテレフォンカード」で、電話していました。

Photo_36

そのとき何を話したのか、何を伝えたのか今もって
まったく思い出せません。
うれしさのあまり、一瞬記憶喪失になったかのようです。
気がついたら事務所に戻っていた感じでした・・・。

そのたった一度しか使ったことのないテレフォンカードは
今でも私の大切な宝物、お守りとして、それからいつも財布の中に
入れてあります・・・。


(炎の受験生編 おしまい)

Ps.
長々とお読みいただき誠にありがとうございました。
これだけ正直な合格&不合格体験記はほかにはないでしょう。
業界体験記まで織り込んでもあり、この苦労話と自慢話?は
受験生の皆様に、きっと何かの参考になると思います。

野村證券を退職してから5年あまり、無我夢中で勉強し、
かつ修行もしました。
長く辛かった日々かもしれませんが、今思えばあっという間でした。
でもあの苦労した5年があるからこそ、今税理士業務を自信もって
できていると実感します。

あの大震災から日本の本当の意味での復興まで、最低5年はかかると
いわれています。
現在あの震災により希望をなくされた方、ご苦労されている方も
まだまだ多いと思います。
勇気を持って、そして夢を持って、自分の人生を切り開いていって欲しいと
心から願います。


九州のある方からメールいただきました。
私のブログをきかっけに退職して税理士を目指される旨が書かれていました。
本当にうれしいものです。
受験生のお一人でも勇気づけられたかと思い、感無量です。
頑張ってください。心より応援します。
税理士会館であなたをお待ちしております・・・。

2011年9月15日 (木)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その33

大隈さんの銅像の前で


受験生の皆様にエールを送るために、
試験場での丸秘テクニックを教えましょう。

Photo_34

試験会場の早稲田大学のキャンパスには、
創立者大隈重信さんの銅像があります。

一応早稲田OBの私としても当然よく知っている銅像です。
ただ、在学中は入学式と卒業式に記念写真撮ったくらいで
正直ほとんど印象になかったのですね。

でも卒業してから、こうやって毎年試験を受けに来る度に
この銅像をながめるようになりました。


8月の暑い盛り、税理士試験は平日に行われます。
銅像の前でこう思うのです。

「また今年もこの場所に来られた。
こんな幸せな男はいない。
自分の人生を自分の意志で生きている。」


どういうことか分かりますか?
サラリーマンだったときは、会社や上司の命令で
働かされるのですね。
以前アップしたように、私は何度も社命令により転勤もしましたね。
なかなか自分の意志を貫くことはできないのですね。
それこそ税理士試験受けたくても仕事で当日来れない人さえ
いるのです。
思い通りにいかないのがサラリーマンでしたからね。

だからこそ脱サラしたともいえるかもしれません。
一度しかない自分の人生を自分の意志のとおりに
生きてゆきたいですからね。

誰も頼まれもしない税理士試験を、しかもこんなクソ暑いときに受験するとは
自分の人生を自ら切り開いていると思いませんか。

確かに試験を受けることに、緊張感もあります。
でも、それも「生きている!」と実感できるのです。

この気持ちお分かりますか?
自分の夢に対して熱く燃えている気持ち・・・。


銅像をじっと見ていると、
大隈さんの
「頑張れよ!」
と言う声が聞こえてくる気がしてくるのです。


学生時代は、何も思わず通り過ぎていた銅像だったのですが、
あの銅像の立っている意味が分かるようになったのです・・・。


試験を緊張せずに受けることができる究極のテクニックですね。
「脱サラ」受験生の方にお勧めです。


(次回いよいよ感動のフィナーレ!)

2011年9月14日 (水)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その32

夢へのリーチ


税理士試験をクリアするにはあと2科目合格する必要がありました。
麻雀用語で言うと、イーシャンテン。
あと1科目というリーチがかけられるには、まだまだという状態ですね。
でもその頃の自分は、2科目一気に合格して夢への扉をこじ開けようと
していました。

「ヨシ!リーチ一発ツモだ!」

麻雀をやる人なら分かりますね。
リーチをかけるとワクワクドキドキしますね。
リーチは実に楽しいですからね。
2科目勉強することは確かにシンドかったかもしれませんが、
合格の夢を毎日見られることは、それはそれで楽しかったのです。

科目は、「所得税法」と「消費税法」。
前述の通り、所得税は受験生が敬遠する科目です。
でも、ボリュームが多いもののやはり実務では必修の科目ですね。
会計事務所で働きながら勉強している受験生には有利なように思います。

毎日職場に法規集を持ち込んで、常に条文を確認するようにしていました。
例えば、お客さんから「医療費控除」の質問があったら、
条文、通達などから確認した上で、答えるようにしていました。
また消費税も、国税庁監修のQ&Aを、仕事中よく読んでいましたね。

その数年前にT先生のおかげで所得税法という科目自体が
好きになっていましたし、2度目の受験ということもあり、
得意科目にもなっていたのです。
試験直前の7月に、大原簿記学校では「全国統一模試」が行われます。
ここで数千人の中でトップをとりました。(すいません。自慢話です・・・)
これは、その年の税理士試験を自信持って受けることができたのは
もちろんですが、その後税理士となってからも個人確定申告に対して
かなり自信が持てるようになりましたね・・・。


例年のごとく試験の前日まで仕事をして、さあ!いよいよ本試験です。
なでしこジャパンが、ワールドカップ決勝のピッチに立ったときのような
ワクワクどきどき感です。

「絶対に負けないぞ!受かってやる!!」

意気込んで試験会場の早稲田大学に乗り込みました・・・。

2011年9月13日 (火)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その31

税理士試験に対する本音


就職活動していた頃、ある資産税の大事務所の先生が言っていたことを
思い出しました。

「キミをぜひ欲しい。でも税理士試験は難しいし、ウチの仕事は
キツイから多分税理士になれないよ。それでもいいかい?」

仕事をすればするほど税理士から遠のく実感がありました。
「こういうことか・・・。」
妙に納得していました。
実は、その先生がこんなことも言っていたのです。

「仕事のできる人ほど、当然売上を伸ばすために担当を増やす。
結果的に勉強ができず合格まで年数がかかる。逆に仕事のできない人は
担当が少ないため勉強ができて早く合格しやすい。」

これは、今会計事務所の所長となった私として、真実だと実感しています。
この業界に飛び込んで長いですが、大事務所の番頭さんは、
3科目、4科目合格者が多いのです。
そういう人の仕事ぶりは、新米の税理士の3倍、4倍やっています。
経験も知識も適わないくらい・・・。
ただあと少しというところで、残念ながら税理士になるのをあきらめた人も
また多いのです。

働きながら試験を受けるのは、生半可な気持ちではダメだということなのです。
ということは、逆に今「頼りなさそうな」新米の多くの税理士が
「仕事のできない人」だとまで言いませんが・・・。


私の場合でも、自慢ではないですが、確かに仕事は人一倍やったつもりです。
3年目ながらすでに番頭さんとしての仕事までも。
またすべての担当先の過去の未収金を回収して、
さらには顧問料の値上までやってもらっていました。

先日アップしたある大会社の資本政策で、数百万単位の仕事も取ってきたし、
そういう評判を聞きつけた都市銀行からの紹介で、大口の新規顧客まで
引っ張って来るほどでした・・・。


立場的には所長から、売上を伸ばすように期待されます。
しかし、仕事に手は抜かないものの、それ以上要求されたら、
いっそのこと退職してもいいくらいの気持ちでした。
働きながら合格するにはそれなりの覚悟は必要なのでしょう。

「応援する家族のためにも頑張らなくては・・・」
不合格通知で落胆する顔を見てあらためて思いました。


その翌年、元旦から再スタートを切りました。
大原簿記学校伝説の「炎の受験生」復活です・・・。

2011年9月12日 (月)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その30

人生の岐路


時代背景としては、その後上場公開ブームとなり、
ホリエモンに象徴されるようなITバブルが訪れます。

上場前の企業に入社して、自社株やストックオプションを
取得することにより「株長者」になること。
それは元証券マンとしては、望むところだったのかもしれません。
一方で急成長している企業に、経理部長として入社することは
現場の経理と上場公開の経験を積むことでは
「キャリア・アップ」という意味では、かなり有効だったのでしょう。

でも、その社長のありがたい申し出は、結局のところは
丁重にお断りしました。

「税理士になるために脱サラしたのだ!」

やはりその決意は固かったのです。
株長者になる見込みもあったでしょうけど、
そんなフロックみたいな錬金術も何となくイヤでした。

実は、その会社だけでなく、野村證券の元上司からそんなお話も
数件いただいていました。


当時は、経理実務や税金が分かって、しかも上場公開のことが
分かる若手の方は確かに貴重だったのでしょう。
そういう道に進む選択肢もあったかもしれません。
そうすれば税理士試験という苦行から開放もされましたが・・・。


経理人として、つまり職人としての腕は確かに上がっていると
思っていました。
再三、料理人に喩えていますが、料理を極めて、例えば「帝国ホテルの
シェフになること」、また「吉兆の花板(料理長のこと)になること」 、
それらは料理人として最高の勲章なのでしょう。

でも、こんな言い方すると失礼かもしれませんが、帝国ホテルのシェフでも
吉兆の花板でも、サラーリーマンはやはりサラリーマンですよね。
脱サラした以上、いつまでもサラリーマンはやっていたくなかったのです。
つまり同じ料理人でも「オーナーシェフ」になる夢を見ていました。
小さな店でもいいから、自分がオーナーとして腕を振るってみたいと
料理人ならきっと誰でも思うはずです。


しかし、そのためには国家的お済みつきのある「調理師免許」つまり
「税理士の免許」はどうしても必要だったのです。


入社3年目。貴重でしかも特殊な実務経験を多く積むことができました。
でもその代償はありました。
仕事に熱中し過ぎていたあまり、実はその肝心な税理士試験の勉強は
おろそかになっていたのです。

結局また一年を棒に振ることになってしまったのです・・・。

2011年9月 9日 (金)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その29

番頭としての修行


会計事務所に入って3年目。仕事の要領も覚えてきました。
実際に思ったのですが、入社1年目で3時間かかった仕事が
2年目で、2時間に。3年目で1時間でできるようになってくるのです。
仕事の段取り、知識、機械の慣れからでしょうか。
まさに「職人」としての腕が年々上がってくるのを実感していました。

入社当時、あれほど社内で聞きまくっていた新人が、
こんどは教える側に回っていました。
社内の案件がほとんどもちこまれ、質問を受けたりチェックをしたり。

ある程度大きな会計事務所で必ずいる、いわゆる「番頭さん」みたいな仕事
なのですね。

そういう大きな事務所の所長は、自身では申告書なんかチェックなんかして
いないのです。(内緒)
職員やこういう番頭さんに「お任せ」なんですね。
ということは、税理士先生は、日中は仕事はあまりしないで、
税理士会の会合に出たり、ゴルフばかり。
この時期「ゴルフ焼け」している先生は、たいていそうですね。
(これも内緒ですが、真面目にやっている先生ももちろん多いです)


ただ個人的には、貴重な実務経験をしました。
やはり、いろいろな企業をみて経験していることは大事なのですね。
実際に勉強していることがまさに実務で聞かれることも多く、
非常にやりがいのある仕事ですね。この「番頭さん」は・・・。


さらに、ここで面白い仕事が飛び込んできました。
顧問先に中のある一社が急成長して、なんと売上100億円規模にもなり、
上場公開というお話がでてきたのです。

当然、上場公開のことなんてまったく知らない所長は、
私を担当させることにしました。

この仕事は面白かったですね。
「資本政策」といって、子会社、関連会社の整理統合がまずあります。
「解散」、「合併」など勉強したばかりのことがたくさんでてくる。
毎日のように会社にいって、監査法人の担当の会計士と打ち合わせ。
証券会社にいたせいもあり、
「こんな仕事をしたかったのだ・・」
喜々として取り組んでいました。


一生懸命やっている仕事ぶりから、その担当先の社長も
私のことを大変可愛がっていただきました。

ある日、その社長から食事に誘われ切り出されました。

「吉田さん。税理士あきらめてウチの経理部長になりませんか?」

上場企業の経理部長への道が開かれそうなときでした。
まさに人生の岐路です・・・。

2011年9月 8日 (木)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その28

ついに・・


確かに働きながら3科目を勉強することは無謀だったのでしょう。
でも、苦しかったけどまさに毎日夢ばかり見ていました。

「三科目同時に受かったら・・・」
「大原簿記学校伝説の人となろう!」

自分の夢のために努力することは決して苦ではないのですね。
しかし、本当に5月過ぎた頃から急に体力的に苦しくなり出しました。
試験直前の難しい講義についてくのにアップアップです。

マラソンに喩えると、
「35キロ過ぎて足が痛くなってガス欠になってきた状態」?
例のヘビーな3月決算もキツカッタ。
それが終わるとさらに7月申告にも苦しめられました。
結局申告が修了したのが税理士試験の前日。

ただ今思えば、本当に仕事もした充実した一年でもあったのですね。
働きながら3科目の勉強は確かにできたのです。


その年の結果は・・・
「簿記論、財務諸表論合格!」でした・・・。
残念ながら消費税はダメでしたが、やはり後半かなりバテタのが
敗因だったのでしょう。

でもこれで簿記、財表、法人税法の必須科目の合格。
ホッとしたのも事実でした。

合格発表の翌日、自分の背丈ほど積まれた過去の簿記、財表のテキストや
プリント類をマンションのゴミ置場に、「思いっきり」ブン投げました。
「これでもう簿記、財表は勉強しなくていいのだ・・・」
その爽快感は一生忘れられませんね。

数年間苦しめられた科目をクリアしたことで税理士になる夢に
一歩も二歩も近づいた実感がありました。


しかし、税理士試験はそう甘くないのですね。
またここで「落とし穴」が待ち受けていました・・・。

2011年9月 7日 (水)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その27

4倍法


税理士試験の特徴は、ある程度のレベル以上なら全員合格するというのではなく
「相対評価」であるということがいえます。
相対評価ということは、まさに敵はまわりの受験生です。
それに勝たないと合格できないということです。

もっと厳しい例えをいうと、税理士試験は10人で1個のイスを取り合う
「イス取りゲ-ム」をやっているようなものです。
残りの9人を蹴落とさなければ勝ち残ることはできない「し烈な戦い」です。
そのためには

「人の2倍や3倍ではなく、4倍やってください。」

実はこの大事なことを教えてくれた恩人が私にはいました。


専門学校で受験に専念していたころ、Oさんという有名な人がいました。
現在では、都心のある税理士法人で資産税の権威として大活躍されている友人です。

その方は、受講するどの科目も必ず満点でトップを取り、あっという間に
国税四法を含む6科目(!)取って官報合格してしまった
まさに"税理士試験の鉄人"のような方でした。


その鉄人がどうやってそんなすばらしい成績を修めるのか、誰もが不思議に思い、
当時私もどうにかその秘密を知りたいと思っていました。

ほんの顔見知り程度でしたが、本試験直後にその鉄人に声をかけ、
強引に誘うことに成功しました。
焼酎のボトルを3本空けたところで(鉄人は酒も強かった!)、
私は思い切って切り出しました。

「Oさんどうしていつもそんなにすばらしい成績を取れるのです?」

その時私は、税理士の家庭教師を雇っているとか、果ては秘密の睡眠学習を
しているくらいの答えを期待していました。
しかし、鉄人の答えは恐ろしいくらいまともなものでした。

「みなさんは勉強のやり方が甘いと思う。人の倍やるくらいは普通で、
人の上をゆこうと思うのなら3倍、4倍やって当たり前ではないでしょうか。
私もたとえ満点取った問題でも自分が納得いかなければ、
何度でも繰り返し解き直しています」


ほろ酔い加減が一変に醒めたのを覚えてます。

誰もが受かろうと思って必死になってやっている試験勉強です。
しかもその勉強もほとんどが同じように専門学校に通い、
同じようなテキストでマニュアル化された授業を受けている訳です。
普通の人と同じことをやっていては勝つ訳ない。

その大事なことを彼から教わりました。
その日から私は人の4倍やろうと決心し、合格するまで実践しました。


「4倍法」。これは自分にとって、今や一つの「人生訓」にもなっています・・・。

2011年9月 6日 (火)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その26

税理士試験合格法!


どうやったら確実に合格できるか?必死になって考えました。
先日ご紹介した弊著「税理士試験こうすれば合格する!」に
すべて書いたつもりですが、今日は著作権に触れない程度に?書いてみましょう。
このとおりにやれば必ず合格します!


1 最前列プレッシャー法

教室でも講義を受ける際に、私は最前列しか座ったことがありません。
一番前とは講師との距離が一番近く、しかも当然さえぎるものは何もない。
つまり、一番集中して講義を受けられるのです。

後ろの受講生のプレッシャーも確かに感じますが、これが程よい緊張感にもなる。
また前に座る受講生は、ヤル気のある人が多く、当然勉強もできる人が多いのです。
そういう意味で、よいライバルがたくさんできます。


2 ノルマ質問法

「ノルマ」なんて言葉は、元証券マンの悲しい「さが」ですかね。
一回の講義で必ず、一回は講師に質問すること。これをノルマにしました。
これは効果ありますよ。

講義を聞きながら、絶えず
「自分はどこまで分かっていて、どこが分からないか」
絶えず考える訓練になります。
ある程度分かった講義でも、
「ここは・・・ということですね。」
と確認の質問するのです。

そうすると、あいまいな内容をそこでしっかり確認できるとともに
講師側も本当はもっと話したかったことも、そこでまた聞けるのです。
これは実にお得な作戦ですね。

それと、この作戦をやると講師と実に仲良くなれます。
税理士となった今でも、結婚式に呼ばれたり、たまに食事したりする仲まで
なっています。ありがたいものです。


3  スタンドコーヒー暗記法

税理士試験の勉強で「理論暗記」という最大の難関があります。
これは、原稿用紙にして3枚くらいの理論をまさに「丸暗記」する勉強です。
科目によって違いますが、その理論の数が、30から60問。
これに苦しむ受験生は多いのですね。

受験に専念していた頃は、古典的な「山手線暗記法」を実践していました。
山手線一周は一時間かかるのですが、その一周の間に、理論一問暗記していました。

でも、働き出すとそんな時間取れません。
時間がなければ作ればよいのです。
スタンドコーヒーとは、ドトールとかスタバとかどこにでもありますね。
職場は9時からでしたので、朝8時に隣にあるスタンドコーヒーに行って
1時間理論暗記していました。

昼も弁当を5分で食べ、あとの残りの55分もまたスタンドコーヒーです。
働き出して、すべてここで理論は暗記したと思います。


理論暗記は確かに苦しいものです。
でも苦しんだおかげで、税法の考え方が身体に染み込んだ気がしています。
税理士となった今本当にそう思いますし、それが実際かなり役立っています。

受験生の皆様。そう思って頑張ってください。


2011年9月 5日 (月)

夢をかなえるゼイ 炎の受験生編 その25

何が何でも学校へ


当時の税理士受験校は通学クラスが主体でした。
今はDVDやWeb授業があるらしいので、様相がかなり違うとは思いますが
とにかく学校へ通っていなければ受かるはずがないと
痛感していました。

そのためには、何より仕事を時間内に終えて、残業をしないように
しなければなりません。
あまりお金のことをいいたくないのですが、そこの会計事務所は
男女差別や年功序列がないといいましたが、待遇もまさに平等でした。
ということは、残業代もない代わりにまさに歩合給。
決算をこなさなければ、手当てがまったく出ない仕組みでした。

そのため、どうやって時間内に終えて決算を効率よく終わらせるか
必死になって考えました。
当然ですが仕事に手は抜きません。

よく思うのですが、試験勉強も仕事もまさに段取りなのですね。
15時以降はアポを取らないで外出しないようにしましたし、
勤務時間内は本当に集中して仕事しました。

定時は5時30分でしたので、それからタイムカード(残業代がないのに
なぜかあった・・・)を打った瞬間に仕事のことを忘れるようにしました。


三科目を取っているので、週に何度も学校にいかなければなりません。
「今日は学校です」
はっきり公言して、積極的に帰るようにしました。

もちろん、仕事が集中した時は、7時、8時になることもありましたが、
それからでも学校の自習室で勉強するようにしました。
実は、仕事場から家と学校は反対方向なのですが、あえてわざわざ学校に
毎日通いました。


8時過ぎてからも重い足を引きずりながら、学校に行くこともあり、
そこからたとえ1時間でも集中して勉強しました。

でも、よく9時頃になって、私よりもっと疲れたような顔して入室してくる
ライバルに出会うのです。

「こんな時間からでもたとえ30分でも勉強して帰るのか・・・
負けられない・・・もっと頑張ろう!」


実はそんな緊張感を味わいたいからこそ、
毎日必死になって学校に通っていました・・・。

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