« 医者の父が息子に綴る人生の扉をひらく鍵 その2 | トップページ | 医者の父が息子に綴る人生の扉をひらく鍵 その4 »

2024年9月18日 (水)

医者の父が息子に綴る人生の扉をひらく鍵 その3

L

 

この中山先生の著作を片っ端から読んだと

冒頭アップしましたが、

「それでも君は医者になるのか」

でもこの中山先生が医者を目指したくだり

が出てきます。

 

例の新聞記事を読んで医者を目指したところですね。

 

でもここには「オチ」が書いてありました。

 

「新聞社の方から取材をいただいて、

一生懸命話をしたのです。

その人が感動して、その新聞記事を

調べてくれたんです。

そうしたら、どこにも見つからなかった」

と。

 

「つまり、私の人生を変えたその新聞記事は

私が記憶の中で捏造した作り話かも

しれないんです」

 

本当に正直な方ですね。

本当でもそうでなくても いいのでしょう。

 

それでも高校2年生で理科系に進みます。

「理系に行った最初の試験では理系ビリ」

だったくらい。

現役では当然落ちて浪人。

 

一浪で受けた札幌医科大学と山梨医科大学も

「鮮やかに」落ちます。(失礼!原文のまま)

 

 

ここで初めて知ったのですが

医学部に合格する人は日本中で8000人

なのですね。

8000人しかいないのです。

これは驚きですね。

私の母校早稲田大学の入学者数は

毎年1万人はゆうに超えますから。

 

でもこれで諦めなかったのも素晴らしい。

私も正直書くと早稲田に入るために

1年浪人しました。

あの1年間はどれくらい辛かったか。

「もう2度と味わいたくない思い」

ましてや「またもう1年」とは

絶対に思わなかったでしょう。

 

だからこそ、中山先生が医者になりたかった

強烈な想い、理由を自分で膨らませたのでしょう。

 

2浪して目指した第一志望だった千葉大学医学部は

落ちてしまいます。

後期試験で「滑り止め」の鹿児島大学医学部には

何とか合格されます。

後期試験は面接と論文だけで医学部に

合格できるのですね。

これはまた別の意味で驚きました。

 

でもこれも正直に書いてありましたが

もう一つの滑り止めは早稲田大学法学部だったそうです。

中山先生が医者をあきらめ、早稲田に来ていたら

それはそれでどんな人生だったのでしょう。

ここは中山先生に聞いてみたいところです・・・。

 

でも鹿児島大学に合格してくれて本当に良かったと

思っているのは本人だけでなく

きっと医療業界の皆様でしょう・・・。

 

« 医者の父が息子に綴る人生の扉をひらく鍵 その2 | トップページ | 医者の父が息子に綴る人生の扉をひらく鍵 その4 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 医者の父が息子に綴る人生の扉をひらく鍵 その2 | トップページ | 医者の父が息子に綴る人生の扉をひらく鍵 その4 »