ユニクロ その9
2005年8月に玉塚氏が退任。
結果的に見ればロンドン進出と
中国進出の失敗の責任を取らされたような
感じですね。
「更迭」という書き方でしたから。
玉塚氏と柳井氏との経営上のバトルは
実に面白い。
玉塚氏が社長になって柳井氏が会長。
二人の路線が相対立するのですね。
「柳井氏が社内で打ち鳴らすグローバル化の
進軍ラッパ。
それに対して足元を固めようとする玉塚氏の
方針」
がどうしても食い違うのです。
「結局私はサラリーマン的な発想だったのですよ」
後日玉塚氏が述べています。
ユニクロの経営は柳井氏が社長として
全研を指揮する従来の形に戻ります。
その直後の2006年2月。
佐藤可士和氏と出会います。
柳井氏と16歳も違うのですね。
(佐藤可士和氏が手掛けたデザイン)
佐藤氏は2000年に博報堂を退職して
独立したばかり。
でもすでにクライアントに、ホンダを始め、
大塚製薬やキリンビール、NTTドコモと
日本を代表する企業があるトップクリエーター。
佐藤氏は1965年生まれですから
この時まだ35歳。
この佐藤氏とであった理由が面白い。
NHKプロフェッショナル仕事の流儀
を見てから。
「FOMA N702 iD」
を柳井氏が見て感動したという記述。
「実は僕は携帯というものを使っていないのですよ。
でもこれは買いますよ。」
「これができるなら、ウチのグローバル戦略を
やってもらえないですか」
すごいですね。
この記述に驚きました。
柳井氏はこの若干35歳にグローバル戦略を
任せたのですね。
以来柳井氏と佐藤氏は現在に至るまで
毎週決まって早朝に30分話し合っているそうです・・・。
« 竹早高校とわが青春 | トップページ | ユニクロ その10 »
コメント