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2024年7月24日 (水)

ユニクロ その9

Foman702id

 

2005年8月に玉塚氏が退任。

結果的に見ればロンドン進出と

中国進出の失敗の責任を取らされたような

感じですね。

「更迭」という書き方でしたから。

玉塚氏と柳井氏との経営上のバトルは

実に面白い。

玉塚氏が社長になって柳井氏が会長。

二人の路線が相対立するのですね。

 

「柳井氏が社内で打ち鳴らすグローバル化の

進軍ラッパ。

それに対して足元を固めようとする玉塚氏の

方針」

がどうしても食い違うのです。

 

「結局私はサラリーマン的な発想だったのですよ」

 

後日玉塚氏が述べています。

 

ユニクロの経営は柳井氏が社長として

全研を指揮する従来の形に戻ります。

 

その直後の2006年2月。

佐藤可士和氏と出会います。

 

柳井氏と16歳も違うのですね。

 

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 (佐藤可士和氏が手掛けたデザイン)

 

 

佐藤氏は2000年に博報堂を退職して

独立したばかり。

でもすでにクライアントに、ホンダを始め、

大塚製薬やキリンビール、NTTドコモと

日本を代表する企業があるトップクリエーター。

 

佐藤氏は1965年生まれですから

この時まだ35歳。

 

 

この佐藤氏とであった理由が面白い。

NHKプロフェッショナル仕事の流儀

を見てから。

 

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「FOMA N702 iD

 

を柳井氏が見て感動したという記述。

 

「実は僕は携帯というものを使っていないのですよ。

でもこれは買いますよ。」

 

「これができるなら、ウチのグローバル戦略を

やってもらえないですか」

 

すごいですね。

この記述に驚きました。

 

柳井氏はこの若干35歳にグローバル戦略を

任せたのですね。

 

以来柳井氏と佐藤氏は現在に至るまで

毎週決まって早朝に30分話し合っているそうです・・・。

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