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2024年7月 9日 (火)

ユニクロ その5

この本でたぶん金融機関の方が読んだら最も

興味深い箇所。

ユニクロ第一号店が1984年にできていてから

7年後、7年間で23店舗に拡大していた時。

 

柳井氏が

「3年間で100店舗」を掲げ

上場をテコに日本一そして世界一を

目指した時ですね。

メインバンクの広島銀行に8億円の融資を

求めたのに断られたのですね。

 

ちょうど1991年。バブル景気を終え、

世の中全体が傾きかけてきた時ですね。

 

私も不動産バブルを謳歌して、

不動産担保融資を実践していた時ですから

よく覚えています。

あの時は完全なる「担保主義」。

「キャッシュフロー重視」に方向転換したのは

ずっと先でしょう。

 

「3年間で100店舗にしますからお金貸してください」

 

でたぶん簡単には借りられないはずです。

しかもまだユニクロ自体もまだ単なる

「安売りの衣料チェーン」

だたったはず。

結果的に当時の広島銀行の柳田支店長が移動する

1993年6月まで続いたそうです。

 

結論的には支店をすっ飛ばして本店と掛け合った

柳井氏の美談(武勇伝?)として、

いろいろな書物にも書かれている箇所です。

でも銀行の体質をよく理解しているつもりですが、

支店のメンツ丸つぶれの「禁じ手」ですからね。

 

うまく行ったからよかったものの、

ユニクロそのものがつぶれていてもおかしくなかった

ところでしょう。

 

巻末に柳井氏の当時のことについて語っています。

 

「あの時、僕には銀行から融資を受けるという

選択肢がなかったが、今のようにベンチャーキャピタル

が存在していたらどうだったのだろう」

 

「おそらく株を差し出すのと引き換えに資金を

えていたろう。だがそれは経営権の一部を

売り渡すことと同義だ。

それで果たしてあの時に描いた未来図を

多い求めることができただろうか・・・」

 

でも融資がおりなかったら、ユニクロそのものも

今もなかったかもしれません。

 

広島銀行に提出した当時の財務諸表と

融資申込書を見てみたいですね。

 

「あなたが支店長だったら

1993年当時のユニクロに融資したか?」

 

すべての銀行とベンチャーキャピタルの

「生きた教科書」になるのでしょう・・・。

 

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