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2024年7月 3日 (水)

ユニクロ その2

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(柳井氏が継いだ宇部市の小郡商事)

 

 

入学式で祝辞を述べるほど世界的企業のオーナーに

なった柳井氏ですが、とても早稲田時代に真面目に

勉強したようにも思えないのですね。

希望した商社はことごとく不合格。

卒業後そのままプータロー生活。

コネで入ったジャスコにもわずか9ヶ月で退職。

またお気楽なニート生活。

でもこの本で知ったのですが、今の奥様と

大恋愛をしていたのですね。

大学2年生のときに行った海外旅行の際に

スペインに留学中に今の奥様と知り合ったのですね。

ここはまったく知りませんでした。

しかもこの世界一周旅行代金200万円!も親が

出していたもの。

当時の200万円ですからね。

今の1000万くらいでしょうか・・・。

まあ本当に地方のボンボンだったのですね。

しかしそんな経緯があったとは・・・。

でも、まともに生業にもついていないのに結婚を決意。

当時はとんでもないお気楽なかただったのですね。

それで仕方ないので実家に帰ったのが本当のようです。

 

山口県宇部市からユニクロが生まれたのは有名なお話。

街の中心地にある宇部中央銀天街という古びた商店街。

店の2階に住居があるような典型的な家族経営の

地方の一商店。

それが世界的な企業へと飛躍していったのですね。

「地方都市から世界企業へ」

美辞麗句を散りばめられていた「柳井神話の事実」

だったのですね。

何だか今までの「ヨイショ本」にはない記述なので

好感が持て面白かった箇所。

 

店頭に立っていたある時、

「あれ?柳井君?キミ、ここの店番しているのか?

君は東京の大学まで出て、

なんでこんなことをやっているんだ」

高校の教師に見られてこう言われたそうです。

 

宇部高校は地元では超進学校ですからね。

現役で早稲田の政経にはいって卒業して

商店街の店を継ぐ人はいないのでしょう。

 

これはきっと屈辱だったのでしょう。

だから50年以上も経っても覚えているのでしょう。

 

この当時、つまり1970年代の前半。

この宇部という場所と時代背景を理解しないと

いけないのですね。

地元の経済を支えてきた石炭産業は

夕暮れ時を迎えていたのですね。

炭鉱は次々と閉鎖され、石炭から石油への

シフトの最中でしたから。

そこから10年柳井氏はもがき続けるのですね。

「暗黒時代」

とハッキリ記述されています・・・。

こんなことまで記述している本はないですね。

なかなか参考になりますね。

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