トキワ荘物語 その2
今回トキワ荘に初めて行って結構感動しました。
それほど私はアニメファンという訳ではありませんが、
マンガは子供の頃の娯楽でした。
漫画家になりたい!そう思う子供がどれくらいいたのか。
でも、このトキワ荘ができたのは
戦後すぐの頃ですね。
年表が張ってあったので
アップしておきます。
池袋生まれの私としては感慨にふけってしまいますね。
まだまだ戦後の色濃い時代ですね。
1952年(昭和27年)トキワ荘が完成ですね。
1956年(昭和31年)池袋文芸座がオープンですね。
浪人生の頃、この地下の映画館に行くことだけが
生きがいの1年でした。
1957年(昭和32年)に
三越百貨店とキンカ堂がオープンしているのですね。
池袋にいて買い物というと三越かキンカ堂でした。
キンカ堂の2階にレストランがあって、
生まれて初めて「お子様ランチ」を
食べましたね・・・。
私が生まれた1960年(昭和35年)に
池袋のマンモスプールができたのですね。
小学校の頃よく遊びに行った思い出の地ですね。
それでも池袋の駅前では、元傷痍軍人の方がハーモニカを
吹いていたのです・・・・。
・・書き出すとキリがないので、これくらいにしますが
まさに「ザ・池袋」なのですね。
こんなところに、「トキワ荘」があったのです。
ジオラマがあったのでアップしておきますが
こんな「住宅街」のど真ん中なのですね。
「どうしてこんな町はずれの辺鄙なところに?」
そう思いませんか?
やはり「手塚治虫」というネームバリューでしょうか。
でもそれだけでもないのですね。
「寺田ヒロオ」
さんという、トキワ荘のリーダーがいたのですね。
その方が、素晴らしい才能のある漫画家の卵を
全国から集めたのです・・・。
何だか私もトキワ荘を作りたくなったのですね。
最後に「オチ」を・・・。
私も池袋に「令和版トキワ荘」を作ったのです・・・。
(つづく)
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