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2022年10月26日 (水)

メガバンク銀行員ぐだぐだ日記 その1

M

 

これは「かけねなく」面白い本です。

なんとなく「メガバンクの暴露本」かなと手を取ってみたものの

真実味をおびた銀行内部の初めて聞くお話ばかりです。

 

「銀行員の生態とはこういうものか・・・・」

 

と勉強なったと同時に、いろいろと「元メガ証券会社」の営業マンとしての

ある種のノスタルジックな感情に浸りました・・・。

 

まずこの「メガバンク」というのは、M銀行とあえて書いていますが、

「みずほ銀行」だと誰でも分かりますね。

 

「F銀行とD銀行とN銀行が統合されてM銀行ができた」

と読んだ瞬間に

「富士銀行と日本興業銀行と第一勧業銀行が統合されて

みずほ銀行ができた」

これは一般常識として皆ご存じでしょう。

 

問題はこの主人公の目黒課長が、「いつ頃の年代の人か」

なのですが、

 

「あえて自分も含めて特定されないように年代を変えた」

と書いているのではっきり分かりませんが、

だいたい予想がつきますね。

 

バブル世代入行組かその前でしょうね。

50代の半ばか、それこそ定年間際の方なのかもしれませんね。

銀行という堅い職業である以上、こういう本を書くくらいなら

いつ辞めてもいいとさえ思っているでしょうから・・・。

 

バブル入行組というと、私がかつて熱く語った

「半沢直樹」を書いた池井戸潤氏の年代。

「半沢直樹」では銀行員が中小企業を熱き熱血漢で

破綻しかけた企業を再生させるような、

実にスカッとする物語だったのです。

しかし、この本を読むとまさに真逆です。

 

「本当の銀行員の姿は違うのだ。そんなにカッコよくなく

もっと泥臭いものだった・・・」

 

著者はそういいたいのでしょうか。

 

でも本題に入る前に

当時富士銀行と日本興業銀行と第一勧業銀行という銀行に入る方々は

どういう人種だったか想像がつきますか?

 

私は早稲田大学商学部出身です。

当時、商社か銀行が一番人気でした。

商社マンは「人物重視」の傾向でしたが、銀行はズバリ「成績重視」でした。

大学三年生までで単位が40個くらいあったはずですが、

そのうち優の数が30個以上ないとお話にならなかった。

1次面接で簡単に落とされましたから(内緒)

私は「加山雄三」。

(古いネタ。『可山優三』優の数が三で可が山のようにあった・・)

(これも内緒)

 

特に日本興業銀行の人気は別格でしたね。

当時の早稲田大学の就職活動の冊子には、まず最初に

日本興業銀行の内定者の体験記があったと思います。

 

そういう早稲田内でもエリートの方々だけでなく、

当然その他東大など旧帝大系の超優秀な方々がワンサと

入行したのです。

 

ズバリ書いてありました。

「東大、京大、一橋は文句なしのエリート街道。早稲田慶応が

それに続き、それ以下の大学出身は出世しないという

カースト制度があった。

今なお名門支店であれば東大卒が多かったりする。」

 

そういう名門銀行同士の「統合」なのです。

しかも大事な表現ですが、「統合」なのです。

「合併」とは絶対言わないところにみずほ銀行の

大問題があったのか・・・

これは読んでいいて皆すぐ気が付くはずです。

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