キリンを作った男 その3
前田氏が社長表彰を受けた91年6月。その時41歳。
でも社内の抗争に巻き込まれて左遷。
受賞時すでに外されて、ワイン部門にいました。
半沢直樹が東京中央銀行を救って大手柄を受けた直後に
東京セントラル證券に左遷人事を受けたのと一緒ですね。
そのあと前田氏は独学でワインの勉強を始めます・・・。
この時の社長は4期8年勤めた「本山天皇」。
その後社長は退きますが、会長となって子分の社長を後継者として
「院政」を始めます・・・。
しかし、本山天皇の在任期間、キリンはアサヒに
完膚なきまで叩きのめされます。
90年にシェア48.2%と22年ぶりに50%を割ってから、
キリンの社内的には「敗北の6年間」というそうです。
経営の判断ミスにより、ラガーを「生化」して大失敗。
スパードライに余計に水をあけられてしまいました。
本来なら2期目か3期目で責任を取って退任し、
後継社長と目されていた
桑原通徳氏になるはずだったのです。
桑原氏は誇り高き営業マンで、人望熱き方だったのですが、
それゆえに、天皇のイエスマンにはなれなかったのです・・・。
実は桑原通徳氏は元のマーケィング部長。つまり前田氏の直属の上司で
まさに前田氏を育てた方なのです。
桑原氏はその後大阪支社長として後継社長と目されるまで
多くの人材を育て上げ、社内的には「桑原学校」とまで
社内で評されていたのです。
桑原氏は91年3月に近畿コカ・コーラ社長に転じ、
キリン本体から外されてしまいました。
著者は
「桑原さんが社長に就任していたなら、アサヒに負けることは
なかったでしょう」
何よりも一番搾りを開発し、キリンの最大の功労者である前田氏を
左遷させるようなことは絶対なかったと思います。
この本の題名のとおり、前田氏が「キリンを作った男」と
いうのなら、
「キリンを壊した男」こそは、「本山天皇」だったのでしょう・・・。
たぶんそう著者は言いたかったのだと思います。
93年3月。
桑原氏という後ろ盾のいなくなった前田氏は、
さらなる閑職に飛ばされてしまいます。
グループの洋酒メーカーキリン・シーグラムへ出向。
この時43歳。
あまりにひどい仕打ちではないでしょうか。
「マーケティングの天才」として名前が知られ始め、
脂がのり切っていた時期です。
申し訳ないですが、キリンの暗黒時代だったはずでしょう。
同期でのちの社長になる前沢幸一氏と二人でビールを飲むシーンが
でてきます。前田氏の本音。
「キリンは、なんて酷いことをする会社なんだろう」
何だかサラリーマンの悲哀を感じますね。
どうでしょうか。
まるで半沢直樹が井川遥さん演じている美人ママに
愚痴を言っているシーンを見ているようですね。
「リアル半沢直樹」ということを
分かっていただけたでしょうか・・・。
« キリンを作った男 その2 | トップページ | キリンを作った男 その4 »
コメント