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2022年8月31日 (水)

キリンを作った男 その3

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前田氏が社長表彰を受けた91年6月。その時41歳。

でも社内の抗争に巻き込まれて左遷。

受賞時すでに外されて、ワイン部門にいました。

 

半沢直樹が東京中央銀行を救って大手柄を受けた直後に

東京セントラル證券に左遷人事を受けたのと一緒ですね。

 

そのあと前田氏は独学でワインの勉強を始めます・・・。

この時の社長は4期8年勤めた「本山天皇」。

その後社長は退きますが、会長となって子分の社長を後継者として

「院政」を始めます・・・。

しかし、本山天皇の在任期間、キリンはアサヒに

完膚なきまで叩きのめされます。

90年にシェア48.2%と22年ぶりに50%を割ってから、

キリンの社内的には「敗北の6年間」というそうです。

経営の判断ミスにより、ラガーを「生化」して大失敗。

スパードライに余計に水をあけられてしまいました。

 

本来なら2期目か3期目で責任を取って退任し、

後継社長と目されていた

桑原通徳氏になるはずだったのです。

桑原氏は誇り高き営業マンで、人望熱き方だったのですが、

それゆえに、天皇のイエスマンにはなれなかったのです・・・。

 

実は桑原通徳氏は元のマーケィング部長。つまり前田氏の直属の上司で

まさに前田氏を育てた方なのです。

桑原氏はその後大阪支社長として後継社長と目されるまで

多くの人材を育て上げ、社内的には「桑原学校」とまで

社内で評されていたのです。

桑原氏は91年3月に近畿コカ・コーラ社長に転じ、

キリン本体から外されてしまいました。

著者は

「桑原さんが社長に就任していたなら、アサヒに負けることは

なかったでしょう」

 

何よりも一番搾りを開発し、キリンの最大の功労者である前田氏を

左遷させるようなことは絶対なかったと思います。

 

この本の題名のとおり、前田氏が「キリンを作った男」と

いうのなら、

「キリンを壊した男」こそは、「本山天皇」だったのでしょう・・・。

たぶんそう著者は言いたかったのだと思います。

 

93年3月。

桑原氏という後ろ盾のいなくなった前田氏は、

さらなる閑職に飛ばされてしまいます。

 

グループの洋酒メーカーキリン・シーグラムへ出向。

この時43歳。

あまりにひどい仕打ちではないでしょうか。

 

「マーケティングの天才」として名前が知られ始め、

脂がのり切っていた時期です。

 

申し訳ないですが、キリンの暗黒時代だったはずでしょう。

 

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同期でのちの社長になる前沢幸一氏と二人でビールを飲むシーンが

でてきます。前田氏の本音。

 

「キリンは、なんて酷いことをする会社なんだろう」

 

何だかサラリーマンの悲哀を感じますね。

どうでしょうか。

まるで半沢直樹が井川遥さん演じている美人ママに

愚痴を言っているシーンを見ているようですね。

 

「リアル半沢直樹」ということを

分かっていただけたでしょうか・・・。

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