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2022年8月26日 (金)

キリンを作った男 その1

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夏ですからね。ビールの美味しい季節です。

キリンビールといえば、以前に取り上げましたね。

 

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「キリンビール高知支店の軌跡」

 

のちにキリンビール副社長にまで上り詰めた田村潤さんが、

45歳のときに左遷させられた高知支店で

軌跡の営業成績をあげるお話ですね。

 

「今太閤」みたいなお話で勇気をもらえる本でした。

 

ただ今思うと、「昭和のガンバリズ」そのものですね。

懐かしく思う世代と、令和の新世代の方々には

ある意味受け入れられないのではと思ったのも

正直なところです。

 

この田村潤さんは、1950年(昭和25年)生まれで、

1973年(昭和48年)キリンビール入社です。

 

実は今回の主人公である前田仁(ひとし)氏も、

1950年(昭和25年)生まれで、

1973年(昭和48年)キリンビール入社です。

 

驚きますね。なんと同い年の同期入社なのです。

同期で一方は副社長になった方に対して、

前田氏は社長にはなっていません。

子会社キリンビバレッジ社長にはなりましたが

その後キリンを去っています。

 

でも社長にもならなかった方が、

「キリンを作った男」

という表題がつけられているのが気になりますね。

 

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それもそのはず、キリンビール最大のヒット商品である

「一番搾り」、「淡麗」、「氷結」を前田氏が生んだからです。

そのため、「マーケティングの天才」、「希代なるヒットメーカー」

とまで表現されています。

 

1973年入社組の同期入社は76人。

事務系と技術系とが半々。

当時のキリンは約6割の販売シェアを誇る安定企業。

三菱グループにつらなる会社であり大学生には

絶大な人気があったそうです。

 

前田氏は一浪の末、関西学院大経済学部卒。

スポーツはサッカー同好会。どこにでもいそうな大学生で

「落ちると思ったけど、どういうわけか通った」

けということで入社。

同期には田村潤氏の他に、キリンビール社長になった松沢幸一氏など

出世された方が多くいて

「花の73年組」

と言われたそうです。

 

入社して5年間は大阪支店業務課に配属。

問屋から注文を受け、伝票を起こし、工場に発注する内勤の仕事。

 

その後営業を2年間やっただけで、東京のマーケティング部へ

異動。

でも定期健診でがんが見つかって胃を4分3も切除し

4カ月も入院。

 

この時前田氏31歳。

何だか出世とは無縁の普通のサラリーマンですね・・・。

 

でもこれから

「キリンを作った男」

に変わっていくのです。

 

営業成績でナンバー2まで上り詰めた田村氏に対して

マーケティングで次期社長候補まで言われたほど。

なかなかこの「出世すごろく」を読んでいて面白いです。

 

ビールでも飲みながら、ぜひ読んでみてください。

 

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