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2022年7月22日 (金)

竹早高校と山下達郎

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竹早高校つながりで山下達郎さん。

実は、先日の竹早高校訪問で、本当に竹早時代の同級生に

お会いしたのですね。

 

ウィキペディア情報ですが

 

山下 達郎(やました たつろう、1953年(昭和28年2月4日)

 

私より6学年上なのですね。

ついでにウィキペディア読んでみると

竹早高校1年生

1968

4月1日、東京都立竹早高等学校へ進学する。

前年から始まった都立高校入試への学校群制度採用により、

竹早高校へ進学することになったという経緯から、

達郎は別の高校に入っていたら自分の人生は大きく変わっていただろうと

振り返っている。

都立の進学校に入学できた褒美として、以前から欲しかったドラムセットを

親に買ってもらう。

その後は子供の頃から興味のあった宇宙物理学者・天文学者を目指すも、

音楽に傾倒してゆく。加えて、進学校特有の管理体制への違和感と、

国立一期校(当時)で受験一辺倒のクラスメートの中にあって

孤立感に悩み、教員からは長髪を理由に恫喝を受ける学校生活が続いた。

 

当時から長髪だったのですね・・・。

 

竹早高校2年生

1969年

成績が下降して留年も危ぶまれた達郎は、なんとか進級を果たすも、

この時点で目指していた学問の道から挫折した。

当時、学生集会が盛んであった新宿で自らも学生運動や学生サークルに

関わるようになり、高校生活から完全にドロップアウトした。

「音楽、バイト、学生サークル、ジャズ喫茶に名画座」

という毎日を過ごす[

高校の時にドロップアウトしたトラウマは、のちに、

「学校という社会の中から逸脱していく絶望感は、

この年になっても高校を出られない夢を見る」

語るほど大きく影響を与えている。

 

 

先輩が言っていましたが、あまり竹早高校時代には

いい思い出がなかったようなのですね。

ですから、山下達郎さんは「竹早高校出身」ということを

一切言わないようです・・・。

 

 

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まあいいですけど、現在全国ツアー中なのですね。

8月に中野サンプラザでやる予定だったのですが

抽選で外れてしまいました・・・。

残念・・・。

大先輩ながらいまだに、あのハイトーンの伸びのある歌声を

お聞きしたかった・・・。

 

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奥さんはご存じの通り竹内まりやさんですね。

もちろん好きな歌手です。

もう15年も前になるのですか、

「人生の扉」

という歌がありましたね。

 

春がまた来るたびに~♪ ひとつ年を重ね~♪

目に映る景色も~♪ すこしずつ変わるよ~♪

陽気にはしゃいでた~♪ 幼い日は遠く~♪

気がつけば五十路を超えた私がいる~♪

  

「あの竹内まりやさんももう50歳になったのか・・・」

 

当時は感慨深げだったのですが

それからもう15年も経ってしまったのですね。

 

君のデニムの青が~♪ 褪せていくほど~♪ 味わい増すように~♪

 

 

本当にお二人とも、味わいますようなすばらしい年の取り方ですね。

いい人生ですね・・・。

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