永守流 経営とお金の原則 その6
「カネとの闘い」
この本の一番面白いところはココですね。
かなり赤裸々に書かれています。
ここまで銀行とトコトン戦った経営者はいないでしょうね。
従業員入れてわずか4人で立ち上げたベンチャーです。
自宅の納屋を改造してスタート。
この本に書かれていて、まず驚くべきことですが、
「創業時に売上高1兆円という目標を掲げた」
後にも先にもこんな会社見たことも聞いたことないですね。
(グーグルはこのガレージから生まれた)
でもすぐ思い出すのがグーグルですね。
グーグルの自宅のガレージでの起業でした。
資本金でも規模でもコネも関係ないのです。
志を高く持つということなのでしょう。
「お金も設備も知名度もない。大きな夢とロマン、
ほとばしるような情熱だけを持ち
まったくゼロからのスタートだった。」
本当にココだけで感動しませんか。
最初は、京都桂川のそばの染め物工場の一角を借り、
家主の洗濯物がはためくような場所でモーターを製造した。
創業して1年経った頃、ようやくまとまった注文が入ったのです。
京都銀行の桂支店から金を借り、新工場建設へ進みます。
わずか設立1年あまりで新工場を作ろうとする経営者は
まずいませんね。
ここで大事なキーマンに出会います。
オムロンの創業者である立石一真さんですね。
京都エンタープライズデベロップメントという
当時日本初の民間ベンチャーキャピタルのトップだったのですね。
そこから500万円出資を受けたことで、マスコミにも報じられ
会社として信用度が増したのです。
結果的に京都銀行からと日本政策金融公庫から3000万円づつ、
合計6000万円もの融資を受けることができたのです。
創業からわずか1年半、1975年2月に日本電産は
京都府亀岡市に新工場を完成することができたのです・・・。
これだけでも驚くのですが、この本でもっとびっくりするのが
創業から5年間で不渡りをなんと3回もつかまされているのですね。
「銀行とこれだけ戦った経営者はいない」
と申し上げたのはこの理由から来ます。
「創業間もないころ資本金を大幅に上回る不渡りをくらい、
さすがの私も絶望的になり、一時は真剣に自殺を考え・・・」
創業2年目、1974年の夏750万円の不渡りを食らった。
創業初年度の利益は1000万円ほどだったが、
利益が吹っ飛びかねないような大打撃だった・・・」
「3回目の不渡り。金額は9000万円。当時の資本金が3000万円
だからその3倍である・・・」
3度目の不渡りで本当に倒産を覚悟したらしいのですが、
その時神頼みしたのが京都市左京区にある「九頭竜大社」
開祖の人から「来年の節分に大きなことがある」と告げられたのです。
翌年の節分に、米国のIBMからフロッピー用モーターの
大量発注が舞い込んだ
これにより会社倒産の窮地を脱したのは、「まことしやかな」有名なお話・・・。
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