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2022年3月31日 (木)

脱サラ30周年の記念日 その2

今日は3月31日。

野村証券に1984年(昭和59年)に入社した人は

すべて今日までで60歳定年になります。

私は大学に浪人して入りましたので既に61歳ですが、

現役で入った人はすべて60歳に到達するからですね。

 

「定年延長」が叫ばれる昨今においても野村証券は

いまだに「60歳定年」なのですね。

 

「再雇用制度」というのもあるそうですが、

一旦は退職してからとなるみたいですね。

ということは同期の皆は全員、高額な退職金が支給されたのでしょう。

 

そろそろこのブログ読んだ方は、

こういう質問をしたいのでしょうね。

 

「30年前に脱サラして良かったですか?」

 

 

カネのお話を先にすると、あのまま会社にいたら・・・。

30年前でも当時年収は1000万円以上ありましたから、

30年間で最低3億円は稼いだのでしょうね。

役職的に部長以上になっていたら4億や5億くらいは・・・?

今年数千万円の退職金をもらって、最低でも数億は

貯まっていたかもしれません・・・。

 

 

野村証券の同期に会うと必ず聞かれるのは

 

「辞めて大変だったでしょう」

 

きっと

 

「辞めなければよかった」

 

という言葉を私から聞きたいのかもしれません。

 

「こんないい会社辞めてもったいない」

 

そう思っているのでしょうね。

私の年代では30年前に「転職」や「独立」ということ自体は

少なかったはずです。

「終身雇用」ということが前提で会社を選んでいたのですから。

 

何度も書きますが、株式の営業は私には向いていなかったのです。

きっとあのまま残っていたら、債券営業をやらされたのだと

思っています。

株式は得意ではなかったけど債券は得意だったから。

全国の農協や信用金庫の担当になって、

全国津々浦々転勤しながら営業・・・。

支店長や部長は無理としても

たぶん課長か次長くらいにはなっていたでしょうね。

 

それもまた幸せな人生だったのかもしれません。

それでも高額な報酬は約束されていたのですから。

 

ただ、「人生カネだけでもない」と思います。

30年間健康な身体でいられました。

実は30年間一度も入院したこともありません。

また、30年間家族とずっと一緒にいられました。

「単身赴任」という転勤族にありがちな

不幸な目にもあわなかったし・・・。

何より税理士という素晴らしい職業をやれることが

できたのですから。

 

まあ、「負け惜しみではないですが」税理士になって最初の

数年は大変でしたが、その後はしっかり稼ぎましたからね。

向こうはまったく思っていないと思いますが

野村証券の同期は一生のライバルだと思っています。

彼ら以上絶対稼ぎたいと常に意識してきましたから・・・。

 

(野村証券の同期以上稼いだかどうかはアップしません)

 

ただ、「明日から何もしなくていい」という人生は

正直今の時点でまったく考えられません。

何もしないことで精神的に参ってしまいそうですね。

現時点で仕事があることに心から感謝したいと思います。

 

ことわざで

 

「やらずに後悔よりもやって後悔した方がいい」

 

よく言われますね。これを真に受けて

 

「脱サラしないことは後悔するからやった方がいい」

 

そう安易には言えないでしょう。

脱サラには常にリスクを伴いますからね。

私自身「もし税理士試験に受からなかったら

どんな人生だったろうか」

たまに思います。

 

また、こんなことわざが中国にはあります。

 

「後悔は美徳の春」

 

これは

 

「後悔するのは過去を反省し改善しようとする気持ちがあるから。

つまり、後悔する人はこれから美徳を積むことができる」

 

という意味なのですね。

 

「人生にやり直しはありません」

 

後悔などやはりしたくはありませんが、

後悔を絶対しない人生もまたないのかもしれません。

 

これからの人生も、もっともっとたくさんの美徳を積んで

同期に負けないように精一杯生きていこうと思います。

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