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2022年3月30日 (水)

脱サラ30周年の記念日 その1

20220330-090618

(1992年3月のカレンダー)

 

 

本日3月30日は私の脱サラ記念日です。

1992年(平成4年)3月30日は、

私が8年間勤めた野村證券に辞表を叩きつけた日

なのです。

 

その三日前の3月27日金曜日は野村證券の

春の異動の発表日でした。

その日3年間勤めた出向先で

「元のように野村證券で株を売りなさい」

という辞令を受け取っていました。

 

このあたり以前ブログで書きましたからね。

まあ結構読まれる人気ネタです。

個人的にもたまに読み返して、あの時の熱い心を

思い返すことがよくあります。

 

こちら

 

金曜日の夕方に型通りの送別会があって

上司や同僚に別れを告げました。

でもその辞令を受け取った瞬間から、

本当に悩みに悩みましたね。

翌日の土曜日に、当時通っていた大原簿記学校の先生を訪ね、

「辞めて税理士を目指したい」

相談にいったのですね。

 

「辞めるくらいの意気込みがあれば絶対受かりますよ」

 

今思えば本当に無責任なアドバイスだったかもしれません。

でもその一言で私の脱サラの決意は固まりました。

 

日曜日に上司の自宅にアポも取らずに押しかけて行って、

退職する非礼を詫びました。

私の決意にもちろん引き留めもしませんでしたが、

きっとその後迷惑をかけたのだと思います。

 

日曜日の晩に退職届を書きましたね。

あの「辞職願」はまさに脱サラの原点ですね。

月曜日の朝7時30分に日本橋の本社の人事部長に

直接手渡しに行ったのですね。

本当にブログに書いてある通りです。

 

今思い返せば

「転勤拒否」

ということで、社内で結構問題視されたようです。

30年前は「転勤族」において「転勤拒否」は

まさに「反逆罪」!?でしょう。

 

「日本全国を転勤することを承諾して」入社した訳ですから。

ただ、たった8年間しかいなかったのに5度目の転勤は

さすがに応えました。

「職命令違反」で解雇されてもおかしくはなかったのかと思います。

 

その後数週間、自宅待機の連絡。

結局、5月15日付で退職となりました。

 

思い返したら、「有給消化」だったのですね。

30年前のサラリーマンには「有給消化」の4文字はまったく

ありませんでした。

しかし、転勤拒否で職命令違反になるのか、そんな法律的なことさえ

考える余裕もなかったですね。

8年間無遅刻無欠勤の優良社員であった訳ですから、

有休を取ろうなんて一度も考えたこともなかったのです。

ここでお世話になった野村證券に対して、今更あれこれ書くつもりもありません。

ただ、

 

「自分の思い通りに生きてみたい」

 

それが脱サラの原点な訳で、誰もが持っている当たり前の権利ではないかと

今本当に思います。

 

ウクライナの独立記念日は30年前の1991年8月24日

 

私の独立記念日も30年前の1992年3月30日

 

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