失敗を語ろう その2
この本で、マネックス証券時代のことはあまり書いていないのですね。
実はそこに、個人的には一番興味があったのです。
辻社長は、京都大学出てソニーという有名企業に就職します。
しかし、配属先は自分の意図しない経理部。
それでも真面目に簿記のボの字から学ぶのですね。
たぶん、経理という職種は彼には合わなかったのでしょう。
それで入社3年目に、「マネックス証券CEO室出向者募集」という
社内公募に手を上げます。
巨大企業ソニーの中では、実に異例の仕事だったのでしょう。
20台の若手社員は自分の将来を含め、いろいろ悩む時期ですからね。
私も職業として経理の仕事を選びましたが、
経理に合う方と合わない方がいることを重々承知しております。
「オンライン証券」という新たなビジネス分野に
自分の人生をかけて見たかったのでしょうね。
京都大学出ているのですから、ソニーに残れば
そこそこ将来は保証されていたでしょう。
でもそこに、ベンチャースプリッツを感じるのですね。
この本には書いてありませんが、出向して3年後には
ソニーを辞めてマネックス証券に転籍しているのです。
私も今だから書きますが、入社5年目に、野村證券から
野村證券の金融子会社に出向しました。
ですから、大企業の中にあって「子会社に出向する」という意味が
誰よりも分かっているつもりです。
それでも当時金融自由化の中にあって、証券子会社には
いくらでも仕事がありました。
3年後に出向期間は終了してしまったので、
実は脱サラにつながってしまったのですね。
詳しくは こちら
「転籍しなさい」
と言われていたら喜んでしていたでしょう・・・。
まあ、そんなものです。若い時のチャンスはいくらでもあるのです。
「自分の将来やカネのことを考えていたら・・・」
まあ、つまらない人生だと思いませんか・・・。
しかもマネックス証券には松本大社長という非常に魅力的な
経営者がいましたからね。
私もそういう方のそばで働いてみたかった。
しかも辻社長はここでビッグチャンスを掴みます。
「マネックスの第一号留学」に手を挙げて、
MBA取得のためにアメリカのビジネススクール
「ペンシルバニア大学ウォートン校」に留学させてもらったのです。
時はリーマンショック後の2009年の頃です。
辻社長はすでに33歳ですね。
でもこの時の貴重な海外での経験が起業へと結びついたのは
間違いないですね。
2年後の2011年春、日本では東北大震災で大騒ぎしている最中に
日本に帰国します。
飛行機の中で考えます。
「facebookのマネー版みたいなサービスをできないか・・・」
そのヒントを元にマネックス証券を退職して
起業へと結びついたのですね。
しかし、この瞬間に辻社長とビズリーチの南社長が結びつきました。
南社長も外資系証券会社を退職して起業しましたが、
何よりも同じようにアメリカで起業のヒントをつかんだのでしたね。
南社長は、米国で流行していたLinkedIn(リンクトイン)
という「ビジネス版facebook」に注目したのです。
「リンクトインはこの職務経歴情報を、人材を採用したいという企業に
向けて提供し、起業が直接、利用者にコンタクトできるサービスを
有料で提供」していたのですね。
今のビズリーチのようなヒントを掴んだのですね。
これで「ポスト三木谷世代」の二人の同級生社長の共通項が
見つかりました。
元証券マンでアメリカでfacebookからヒントをつかむ・・・。
私も元証券マンですから、税理士目指さずに、
アメリカに留学でもしていたら
今頃はマネックス証券より先に、
ネット証券を起業していたかもしれませんね・・・・!??
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