巨大スタートアップ「ビジョナル」挫折と奮闘、成長の軌跡 その2
どうしてこういう経営者が育ったのか、
それにまず非常に興味を持ちました。
「こんな経営者がいるのか・・・」
素直に感動し、心から驚いたからです・・・。
まず、南氏の生い立ちが面白い。
1976年生まれ。父親の仕事の関係で、幼稚園から中学まで
家族とカナダで育ちます。
当時の環境は、アジア人ただ一人。
強烈な「マイノリティー」としての考え方が、南氏のその後の人格形成に
大きな影響を受けているそうです。
ここまで書いて、すぐ気が付きましたけど、
前回ご紹介したソニーの平井前社長と環境が似ていますね。
中学でいったん帰国します。
帰国したのは静岡県。サッカーの盛んな県ですね。
そこで中学、高校はサッカーに打ち込みます。
しかし、大学では再び海外を目指し、1995年米タフツ大に入学。
卒業後は投資銀行のモルガンスタンレー証券に入社。
投資銀行部でM&Aアドバイザリー業務に従事。
当時インターネット黎明期。ITバブルへとつながり、証券会社では
仕事はいくらでもあったでしょうね。
週100時間を超えるハードワーク。今なら問題になりそうですね・・・。
ただもともとはスポーツマン。スポーツビジネスに携わりたいという希望があり、
2003年退職。ここでスポーツビジネスの会社「S-1スポーツ」を立ち上げます。
しかし、起業はそう簡単にはいきません。
でも、幸運なことに南社長を引き上げる方がいたのですね。
こういう方こそが大事なのです。
カルチェア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の常務の喜吉憲氏。
その方の紹介でCCCの増田宗昭社長に会うことができたのです。
これ以降のお話はこの本には書いてありません。
興味を持って南壮一郎氏を調べていたらネットで見つけました。
昔小泉元首相が作った組織ドリームゲートの公式HPに
今でもアップされてます。
非常に面白い記事です。読むだけで勇気が湧きます。
三木谷社長からその時にかけていただいた言葉は今も忘れません。
「世間は私が日本興業銀行を辞め、すぐに楽天を創業して成功したと見ているが、
それはとんでもない誤解だ。本当に、色々な苦労があった。そして、その時に
大変お世話になったのが、増田社長だ。時代が巡って、今度は君のような
若い金融マンが安定した生活を捨て、新しいことに挑戦しようとしている。
今度は私が君を助けてあげる番だ」。
泣きそうになるくらいにいいお話ですね。
即座に楽天から企業買収に関する契約してもらい
資金援助してもらったのです。
その縁で2004年9月楽天球団の創業メンバーに。
創業メンバーはわずか10名。
最初のオフィスは楽天本社内のわずか10畳。
その時南社長は28歳・・・。
28歳で三木谷社長のサポート役兼弟子。
「ポスト三木谷」と呼ばれる理由が分かってきましたか・・・。
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