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2021年8月20日 (金)

ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その3

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(久保田利伸●全米デビューアルバム●sunshine moonlight●)

 

1994年ニューヨークに渡った平井氏のやった仕事が

歌手久保田利伸さんの全米デビュー。

見事全米デビューを果たしたのですが、

でもその頃ソニー本社ではもっと歴史的なことが起こります。

1994年12月に日本でプレイステーションが

発売されたのですね。

 

それを受けて1995年9月9日。アメリカでもプレイステーションの発売。

もちろん、アメリカでもこのプレイステーションは大ヒット。

アメリカでそのプレイステーションの販売をしていたのが

ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の

アメリカ子会社SCEA。

そのSCEAの当時会長だったのが丸山茂雄氏。

当時SCEA内部はガタガタだったようです。

その再建に日本から丸山氏が毎週渡米。

その通訳として駆り出されたのが平井氏だった訳です。

 

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この本を読んで一番興味を持ったのが丸山氏ですね。

丸山氏はCBSソニーの創業当時からの生え抜きで大先輩。

調べたのですが、都立小石川高校出身で早稲田大商学部卒。

私の大先輩でもあるのですね。

丸山ワクチンの開発者丸山千里氏の長男というのは余談ですが、

ソニーで社長になった大賀典雄氏の親戚だったらしいですが

ものすごく仕事ができた方ですね。

音楽業界では有名人で、佐野元春や小室哲哉など多くのミュージシャンの

育ての親でもあります。

もちろん、ゲーム業界でもプレイステーションの生みの親の一人とも

言われているくらいの大物ですね。

 

当時は50歳台半ばながら、毎週東京から来てSCEAの再建に

奔走するのですね。

 

「丸山さんが日本語で指示すると、すぐそのまま話を引き取って

英語で現地社員に伝える・・・」

 

これまさに生きた帝王学を学ぶチャンスだったのでしょうね。

経営再建には大事なことは、「経営層のリストラ」と書いてありましたが、

これも英訳して本人に伝えることも何度もしたのでしょうね。

 

「君はこの会社と縁がなくなる。辞めてもらう。

今日はこのまま帰っていい・・・。」

 

非情な宣告の仕方を学んだはずです。

なかなかこれは学びたくても学べない経営術ですから。

 

それを半年やってから丸山社長から

「俺は疲れたから、おまえが社長をやってくれ・・」

それでバトンタッチ。

 

この時平井氏35歳。

いくら米国の子会社とはいえ、通常の上場企業であれば、

その若さで社長をやらせることはあり得ないでしょう。

ここはすごいですね。

ソニーのすごさでしょうね。

 

このとき私も当然35歳。

転職した会計事務所で慣れない経理業務に悪戦苦闘。

へとへとになりながら夜も寝ずに税理士試験勉強を

していました・・・。

 

だんだん差がついてきましたね。

でも夢をもって自分の人生を切り開いていましたが・・・・。

 

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