« ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その1 | トップページ | ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その3 »

2021年8月19日 (木)

ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その2

1984年(昭和59年)、平井氏はCBSソニー入社。

入社する際に、日産自動車かCBSソニーで迷ったそうですが、

「これからの世界、ソフトには無限大の可能性がある」

と父親から言われ、CBSソニーを選択。

日産自動車に入ったら、平井氏はソニーでなくて日産を

立て直してくれたかもしれないですね・・・。

 

当時は、バブル景気前の静かな時代。

でも急速な「国際化の波」が来ていました。

 

だから、平井氏のような語学堪能な方はどの企業も

確かに欲しがっていました。

どの企業も「語学枠」のような採用もあったと思うのですね。

野村證券の同期には海外大学出身の方も多く、

即戦力として重宝がられていましたから・・・。

私自身も「英語がしゃべれていたら・・・」よく思いました。

 

平井氏の仕事は、得意の語学力を生かして、外国部に配属され、

海外アーティストの日本でのプロモートすることが仕事。

ソニー本体は、すでに世界的なブランドとして駆け上がっていたのに

対して、CBSソニーはまだ創立16年目の会社。

 

ここで仕事を真面目に取り組んでいたかと思うと、

「残業することは嫌い。仕事とプライベートはハッキリと線を引きたい」

外国部の同僚と結婚して、なんと宇都宮に自宅を買い新幹線通勤。

「週末には緑の多い郊外の生活を満喫・・・。」

 

因みに税理士らしい「突っ込み」ですが、通勤手当の非課税限度額は

当時5万円だったのですね。

CBSソニーはいい会社ですね。通勤費は全額出してもらっていたのでしょうか。

なお、平成10年度は10万円に引き上げられ、平成28年度から現在は15万円。

 

その頃、私はお隣の群馬県。

野村證券高崎支店で、朝時には出勤して、

毎日11時までの「セブンイレブン生活」。

土日出勤は当たり前・・・。

まったく違いますね。

休日に緑の多い郊外の生活を満喫していた平井氏に対して、

休日も群馬県中を駆けずり回って仕事していましたから・・・。

 

平井氏は、少なくとも20代は出世とは無縁のサラリーマン生活を

送ったのではないでしょうか。

私自身8年間しかサラリーマンをしなかったので偉そうに言えませんが、

1984年から1992年の8年間では間違いなく、

平井氏よりは仕事していたと自負はできます・・・。

 

そんな平井氏の転機は、1994年(平成6年)。

10年目にニューヨークに転勤が決まります。

CBSソニーの駐在員事務所。でも駐在員はたった一人。

要するに何でも屋。

でもここで平井氏は変わるのですね。

34歳一大転機です。

 

「そこに私を待っていたのは、組織の体をまったくなさないボロボロの現場。

そこで五里霧中の中を駆け抜けた日々が経営者としての土台を創ることに

なろうとは・・・」

 

私も1994年(平成6年)一大転機でした。

職員5人の小さな会計事務所に転職。

バブリー証券マンから手取り15万の薄給のただの職員。

税理士試験を目指しているのは私だけ。

まさに何でも屋。

 

「何でも屋」が人を伸ばすのかもしれませんね・・・。

« ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その1 | トップページ | ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その3 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その1 | トップページ | ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 その3 »