田中角栄 上司の心得 その2
田中角栄が首相になったのは(第一次田中内閣)、
1972年(昭和47年)7月。
私が小学校6年生の時でした。
高等小学校しか出ていない方が初めて総理大臣になったので、
「庶民宰相」、「今太閤」とも呼ばれ、
当時は絶大な人気がありましたね。
昔は総理大臣は、帝国大学を出て財務官僚経験者が当たり前。
当時の小学生用の雑誌や漫画などがこぞって特集を組んでいました。
実は、影響を受けた私は、当時池袋に住んでいたので、
わざわざ目白の田中邸まで見に行ったこともあります。(お上りさん?)
「目白御殿」と呼ばれた要塞のような邸宅をぐるっと回ってみましたが
警備が厳しすぎて中はまったく見られませんでしたね・・・。
当時の小学生としては「あこがれの総理大臣、ヒーロー」でしたからね。
会えたらサインぐらい貰おうかという魂胆でしたでしょうか。
すいません。田中元首相はそんな記憶です・・・・。
では「理想の上司像」にお話を戻します。
まず「親分力」。
「親分」というとどうも「任侠」の世界ですね。
高倉健の映画に出てくるような「親分・子分」の関係。
これも古い感じがしますが、当時は(たぶん今も)大事でしょうね。
部下が曲がり角に立ち、切羽詰まっているところに
「心配するな。人生は照日曇る日」
「オレに任せろ。泥はかぶってやる。心配は無用」
こうやって部下を窮地から脱出させてやる能力なのだそうです。
実にカッコイイですね。
「オレに任せろ。泥はかぶってやる。」
何て言う政治家は今は絶対いないようですが・・・。
でも昔、そんな上司もいましたね。
かつての某野村証券の上司から「飲んだ席で」聞いたお話です。
ある会社の社長に、
「上司の一番仕事は部下の泥をかぶることです。」
と言い放ったのですね。
実にカッコイイですね。
でもその上司、本当に部下の泥をかぶって左遷されてしまったのですね。
でもあの社長から慕われていたから、その後ずっと商売が続いた・・・
そんな自慢話?を聞いたことがあります。
田中角栄が首相になる2年前の1970年(昭和45年)に、
公明党の当時の委員長竹入義勝氏とやりあったことがあったそうです。
結果的に田中角栄が「泥をかぶる」ことで収めたそうです。
その後、ずっとあとの自民党は公明党と連立政権を組むことになるのですが、
田中角栄の「泥のかぶり方」があってこそだということのようです・・・。
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