柔道古賀さんの諦めない気持ち
昨日は本当に衝撃のニュースでしたね。
53歳とはあまりにも若すぎる死でしょう。
1992年(平成4年)7月31日。
バルセロナ・オリンピックでの
古賀選手の金メダルは一生忘れられません。
私はその2か月前の5月に某野村証券を退職したばかりの31歳。
ちょうどバブルの余韻に浸っていたまだまだ景気のいい頃。
「バブリー証券マン」から、無職の「プアー受験生」へ転職!?
そのギャップに苦しんでいた頃ですね。
税理士試験が行われる8月までの3か月間、朝から晩まで受験科目の
簿記論をひたすら勉強していました。
電卓をたたきすぎて「筋肉痛」になったくらいです。
「たった3か月で簿記論合格だ!」
意気込みだけは誰よりも負けない気持ちだったのです。
しかし、直前の専門学校の答練で、100点満点で10点しか取れません。
(確か席次が2000番くらい!?)
それでも合格を信じ、「逆転満塁ホームラン」を狙っていました。
今思えば、たかだか3か月で合格できるほど
税理士試験は甘くはなかったのです。
でもまだまだ私も若かったから、「うぬぼれ」だけは人一倍
あったのでしょう。
税理士試験の3日前の古賀選手の金メダルにものすごい勇気を
もらいました。
「そうか。あきらめてはいけないのだ!」
あの意気込みだけを学んで試験会場に乗り込みました。
簿記論の試験科目は3問。
1問できるたびに、
「よっし!」
古賀選手のようにガッツポーズを取ります。
気合だけは負けないようにすることと、周りの受験生を
ビビらせようとする?作戦です。
でもこれも今思えば、本当に「姑息な」作戦でしたね。
すぐ実力不足が露呈し、結局は不合格・・・。
古賀選手のように努力と実力があってこそ、諦めない気持ちが
大切なのですね・・・。
そんな思い出も29年前の出来事なのですね。
29年前の私は、
「夢見てばかりの実力のないただの税理士受験生」
あれから29年。
「もう」29年なのか、「まだ」29年なのか・・・。
私自身その29年間いろいろありましたが、
古賀選手もその間私の何倍も努力され、力強く生きてこられたのでしょう。
私自身の人生のどん底において、本当に目標となった方でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。
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