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2021年3月24日 (水)

田中角栄 上司の心得 その6

 

「殺し文句の一つも言えないような上司は、上司として

強い求心力は得られない。」

 

「田中軍団」と称される史上最強の派閥を作り上げた角栄氏の

すごさを物語るエピソードはたくさんあるようです。

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令和2年の自民党総裁選で、菅義偉に敗北した石破茂氏。

この方は田中角栄の「殺し文句」で政界入りしたそうです。

 

石破茂の父・二朗氏は鳥取県知事を15年も務めた後、

参議院議員に転じて田中派入り、7年勤めた後、

1981年(昭和56年)9月に他界。

長く知事をやっていた関係で、鳥取県民葬が執り行われ

3500人もの弔問客があったそうです。

 

ただ田中角栄は、その石破二朗氏が亡くなる直前、

「万が一の時はあなたに葬儀委員長をやってほしい」

とまで「遺言」を託されていたのです。

 

残念ながら、その葬儀委員長は、その時の県知事に

譲ったのですが、葬儀後に目白の田中邸まであいさつに来た石破茂氏に

この殺し文句。慶応大学卒業したばかりの新米の銀行員であった石破氏に

 

「いいか。次の衆議院選に出ろ。あまえが親父さんの遺志をつがなくて、

誰が継ぐんだ。」

 

 

さらに必殺の「殺し文句。」

秘書に

「おい、青山葬儀所をすぐ予約だ。県民葬が3500人なら

ここに4000人集める。『田中派葬』として葬儀委員長はワシだ。」

これは田中角栄と石破茂氏を語る最大のエピソードでしょうね。

前代未聞の「派閥葬」でしたからね・・・。

 

こんな「殺し文句」を言える上司はちょっといないでしょう・・・。

 

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昨年、令和2年3月21日に93歳でなくなった宮城まり子さんの

エピソードも有名なお話でしょう。

歌手として女優として大活躍したのち、私財を投じて

昭和43年、肢体不自由児施設「ねむの木」学園を開設しました。

当時は日本には社会福祉という概念が希薄で、障がい者への偏見も

多く、宮城さんは大変苦労したそうです。

当時、国の養護施設で教育を受ける予算は中学校卒業までと

なっていたのです。

宮城さんは田中角栄への直訴を思いつきます。

何とその直訴がかなって、さらに国の予算もついたそうです・・・。

 

田中角栄の絶頂期で当時は大蔵省(今の財務省)に絶大な影響力を

持っていたのでしょう・・。

 

まあ、これ以上政治家のエピソード話の「ヨイショ」は

やめておきましょう。

 

こういう話がいずれ漏れることによって、これ以上の「選挙運動」は

ないでしょうからね。

そこまで頭の働く「大物政治家」は、田中角栄くらいしか

いないのでしょう・・・。

 

ちょっと、上司と部下の関係とのお話がずれてしまいましたね・・・。

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