起業の天才!江副宏浩正 8兆円企業リクルートを作った男 その3
起業してわずか3年の1963年8月、日本リクルートセンターと
社名を変更します。
この時の快進撃のお話が実に面白い。
まだ社員28人ほどでしたが、何と新卒を採用します。
初任給2万7500円で募集です。
当時の一流企業の平均は2万円。もっとも高い武田薬品でも
2万2000円ですから、いかに破格の給料か分かるでしょうか。
結局12名採用。
無謀な採用かもしれません。
でも急成長する企業にとっては大事なことなのでしょう。
ただ時代が後押しもします。
1960年代は日本の「黄金の時代」。
企業は次々に採用を増やします。
高卒でも「金の卵」とさえ言われた時代。
あのソニーに営業し、
「学歴無用!出る杭求む!!」
とびきり優秀な高卒を取りまくったという武勇伝が残っています。
あのトヨタにも営業し、さらに急拡大していたダイエーにも。
これにより一気にリクルートは拡大します。
このあたり確かに「起業の天才!」、「営業の天才!」と言えるのでしょうね。
でもそうは簡単ではないのも起業ですね。
やがて「昭和40年不況」と呼ばれる景気後退。
あの山一証券経営危機で日銀特融も受けます。
さらに、1966年(昭和41年)、リクルートについに強敵が攻めてきます。
出版系の老舗「ダイヤモンド」が就職情報誌を始めたのです。
ダイヤモンドの売上は約20億円、従業員は400人です。
ついに、大手出版社が本気で就職情報誌をスタートし出したのです。
この時の売上は1億1000万円。社員は48名ほど。
何だかここで、「桶狭間の戦い」を思いだしました・・・。
織田信長軍はわずか兵力3000。
それに対する今川軍は2万5000。
まともにいったら勝てる訳がありません。
その時、江副氏はどうしたのでしょう?
ここが一番面白かったですね。
何と一人でダイヤモンド社に乗り込むのです。
「日本リクルートセンターの江副と申します。
本日は社長にお目にかかりたく、うかがいました。」
もちろん、アポなんかありません。
社長にあうと、
「やめていただけませんか」
感動しましたね。
これこそベンチャー・スピリッツですね。
もちろん、そんなことくらいで引き下がるダイヤモンドでは
ありませんでした。
しかし、その後、社員全員を集め、
「同業者間競争に敗れて二位になることは、我々にとっての死である。」
この時からリクルートは戦う集団に変わったのです・・・。
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