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2020年10月20日 (火)

コモディイイダ

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2週間ばかりずっとスーパーマーケットのことばかりを考えていたら、

自分の故郷のスーパーのことを書きたくなりました。

 

故郷といっても、私は東京池袋生まれ。

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有名な映画「ALWAYS三丁目の夕日」がありますね。

あれはまさに昭和30年代の東京の高度成長期が描かれたもの。

映画とは違い下町ではないものの、当時の池袋は地方からの流入で

「日本一人口密度が高い」

とされた地域でした。

私の母校は、池袋第一小学校。

本当にたくさんの児童がいましたね。

しかも同級生のほとんどが商店主の子弟。

家族4人、5人は当たり前。

映画のように商店街もあちこちにあり、

夕方になるとどこの商店街も買い物客でごった返していました。

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その小学校から歩いて10分くらいのところに、飯田百貨店(現在のコモディイイダ)

がありました。地図で分かるでしょうか?

現在は84店舗もある大スーパーチェーンですね。

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駅伝も強いのをご存じですか?

 

しかし、イイダにはめったに行きませんでした。

買物のほとんどが地元商店街。

イイダには年末の買い物に行くことだけが楽しみでしたね。

当時の主婦は忙しすぎて毎日イイダまでいく暇もなかったのでしょうか。

ただ小学生では遠足の前の日には必ずイイダに行きました。

それは遠足のおやつを買いに行くため。

確か「おやつは200円以内」と決まりがあったからなのですね。

 

でも書きながら思い出しましたけど、

小学生がスーパーに行く理由は、「値札が表示されている」からなのですね。

 

ということは、普段買い物に行く商店にはほとんど

値札すらなかったのです。

毎日大量のお客さんが来るから、値札をつけている暇がなかったのです。

そうなのです。

高度成長期の日本は、「並べているだけで物が売れた時代」だったのです・・・。

確かにALWAYS古き良き時代ですね。

 

あれから50年。私の故郷の商店街はほとんどアパートか

マンションに変わってしまいました。

同窓会やっても当時の同級生も行方不明が多いですね。

 

ミニスーパーやコンビニは当然あちこちにできてしまって、

商店街の跡形もありません。

「並べるだけ」の安易なビジネスモデルは、その後の「価格競争」には

当然負けてしまったのでしょう・・・。

 

でも池袋にはイイダがあります。

 

がんばれ! コモディイイダ!! ニューイヤー駅伝出場へ!!

 

でもこれから始まる 「Go To 商店街」で池袋の人は

いったいどこに行けばいいのでしょうね・・・。

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