続・こうして店はつぶれた その6
ハイ。ここまでがイントロです。
マスコミに取り上げられた「やまとマン」の面白いお話でした。
そろそろ本題に入りましょう。
では、「なぜスーパーやまとがつぶれてしまった?」のでしょうか。
私なりの考えをアップします・・・・
やまとマンさん怒らないでください。
「倒産Youtuber」に送るエール(ネタ?)だと思ってください。
(※ただご本人はYoutuberにはなるつもりはないらしいです・・・)
この図は本の裏表紙に載っているものです。
この表を何度か見ることでいろいろ分かってきました。
すいませんが勝手にアップして私なりに注書きをつけてみました。
本ではA社とかオブラートに包んでいましたが、
すいませんが東京人には何のことかさっぱり分かりませんので
私の責任で実名を載せます・・・。
(これもA社とはAEON『イオン』のことだと教えていただきました)
左から説明します。
もともとスーパーやまとは売上50億円、店舗数の7店舗の
スーパーチェーンでした。
それが2001年にやまとマンが就任し、ご紹介したように
たった2年間で黒字化します。
しかも懸案の本店もすぐ閉鎖します。
(閉鎖店舗は青、開店は赤で色付けしています)
2005年から戦略を変えてきます。
2007年までで居抜き店舗5店舗購入することで
売上は急増します。
売上64億4300万円の過去最高を達成するのですね。
この間に、「やまとマン」として「298円弁当」、「生ごみ処理機」、
「レジ袋有料化」など取り組み、マスコミに取り上げられ脚光を浴びます。
2010年度の診断士試験に出題されたのもこの頃です。
この間、結局居抜店舗を合計7店舗購入。
100周年記念行事となる2012年に「甲府2店舗」、「韮崎1店舗」
の合計3店舗を加え、合計16店舗がMAXです。
店舗数のグラフと売上のグラフが一緒になっているので
よく分かりますね。
店舗数が2012年まで増えているのに、実は売上は2007年から
下降線です。
特に2007年からの5年間は店舗数が5店舗も増えているのに、
売上はどんどん下がっています。
理由はあえて実名で書いておきましたが、
大型ショッピングセンターの開店の影響が大きかったのでしょう。
韮崎駅前のルネスから移転したオギノ(年商744億円店舗数49店舗・
山梨県最大のスーパー)がライフガーデンにらさきでの開店、
何よりイオンモール(年商8兆円!日本最大の総合スーパー)が甲府昭和に開業した
巨大ショッピングセンターの開業とその増床の影響が大きかったはずです。
しかも、そんな圧倒的な劣勢にいながら「負け戦」を覚悟に、(すいません。)
甲府店と韮崎店の計3店舗の出店が最後のトドメだったのでしょうか・・・。
2013年頃から「バンクミーティング」を行うことで、
店舗閉鎖を進めるのですが、負のスパイラルは一気に加速・・・。
ただここで経理の専門家として、
「売上は分かったが、では利益はどうだったの・・・?」
ここが大問題・・・。
« 続・こうして店はつぶれた その5 | トップページ | 続・こうして店はつぶれた その7 »
コメント