ならずもの井上雅博伝 その6
書きましたように井上氏は、2012年6月、55歳の若さで退任します。
その後、推定資産1000億を使って優雅に趣味に生きます。
この本ではかなりのページを割いて、その優雅なアーリーリタイアメント生活が
描かれています。
ハワイ、フランスなど、世界中に別荘をお持ち、趣味のワインとクラシックカーに
没頭します。
「サラリーマンとして最も成功した日本人」
ですからね。
ただ冒頭書いたように、退任後わずか5年後、60歳でレース中に事故死されました。
「幸せな人生であったかどうか・・・」
これは考えさせられました。
奥さんとも離婚して、愛人もたくさんいたようで、
事故の際には30歳も年下の愛人が助手席に座っていたそうです・・・。
ただ亡くなった方を勝手にあれこれ書いても仕方がないので、
最後に私自身を突っ込んで終わります。
初めて公開しましたが、37歳で税理士開業した時に、
派遣社員の身分でもヤフーに行けるチャンスをつかみかけたのですね。
税理士ではなく、まったく違う世界に飛び込んでいたかもしれませんね。
それこそストックオプションをもらって億万長者になっていたかも・・・。
そんな夢物語を何度か思い返したこともありましたが、
その本読んでそんなことは絶対なかったと気が付きました。
「株式公開前に入社した社員番号60番までの人が、ストックオプションで
株を持っていました。株式の公開後に入社した社員には割り当てがありません。」
「従業員のストックオプションは草創期の42名すべてを合わせて
183株しかない。そのうち井上氏が129株。」
ということは、井上氏が大半所有して、公開前に入社した残り41人が
一人ずつ数株だったみたいですね。
ということは、まったくの夢物語だったのですね。
それと2012年に井上氏と一緒に退任した取締役最高財務責任者で
あった梶川朗氏。実はこの方は野村証券の出身だったのです。
1959年生で1983年一橋大卒。1年先輩で、海外研修でロンドン行って
本社金融法人部で働いた「私よりはるかに優秀な」エリート。
1996年11月にソフトバンク転職。1997年6月にヤフーに
移っているのですね。
ということは、仮に私が1998年にヤフーに行っても、
まったく偉くはなれなかったのかもしれませんね・・・。
ただ当時は売上5億円の会社。
税理士としてそれくらいの会社は、入力申告などは「朝飯前」。
すべてやってあげて、さらにいろいろなことはできたのかもしれません。
「ヤフータックス」!?
くらいのサイトを責任者として立ち上げていたかもしれませんね。
私も「ならずもの」であった30代の頃を思い返してしまいましたね。
実はまだブログに書いていないことですが、
開業直後ゴルフ場の顧問になり証券化ビジネスに
没頭したこともあります・・・・(そのお話はまたいつか)
一度履歴書でもヤフーに送ってみますか・・・!?
(がんばれ! 世界のヤフー物語 おしまい。)
« ならずもの井上雅博伝 その5 | トップページ | キャッシュレス決済還元終了 »
コメント