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2020年6月19日 (金)

ならずもの井上雅博伝 その2

 

では「日本一成功したサラリーマン井上雅博氏」

を見ていきましょうか。

 

先に言いますが、ソフトバンクに転職したのは30歳の時。

「30歳でそろそろ転職でもしようか・・・」

そう思っている人には必見です。

 

井上雅博氏は1957年(昭和32年)生まれ。

私の年代の3つ上ですね。

 

くしくも孫正義氏も同年生まれなのですね。

 

東京の祖師谷団地というごく普通の一般家庭で育ちました。

高校は都立松原高校。私も都立高出身なので分かりますが、

恐縮ですが、取り立て進学校というほどでもなくごく普通の高校です。

特筆すべきは、「子供のころからパソコン作っていたようなおたく」

ではまったくなかったようです。

逆に国語が得意な文系だったらしいのですが、父親の勧めもあって

東京理科大学理学部数学科へ進みます。

 

でもここでも驚きは、大学でコンピュータや情報通信の世界に

接したわけでもないのですね。

ただ大学で熱中したのは「自動車部」。

車の解体や組み立てまでやっていたそうです。

そのあたりは「自動車おたく」だったらしいです。

 

コンピュータとの接点はアルバイト。

1970年(昭和45年)設立の「パソコンベンチャー」

だったソードという会社。

 

マイクロソフトが1975年(昭和50年)設立。

アップルが1976年(昭和51年)設立ですので。

日本製パソコンメーカーの業界の先頭を走っていたらしいです。

まさにコンピュータの黎明期ですね。

 

1979年(昭和54年)に大学卒業後そのままそのソードに

入社します。

私もその直後に大学に入学しましたが、

大学の授業でFORTRAN(フォートラン)というコンピュータ

プログラミングをやった記憶があります(ちんぷんかんぷんでしたが・・・)

 

ソードは80年代に入って、NECや富士通、日本IBMにつぐ、

国内4位のパソコンメーカーにまでなります。

しかし、大手との競争に敗れたソードは1985年(昭和60年)に

東芝の傘下に入ります。

失意の井上氏はその2年後に孫氏に誘われ、ソフトバンクに入社するのです。

その時井上氏は30歳。

 

どうして井上氏はあの孫さんから誘われたのか。

ここが重要なのですね。

井上氏は大卒後8年間、必死になってこのパソコン黎明期の時代を生きました。

しかもベンチャー企業経営者としてのあり様を学んだのですね。

ただ井上氏はご紹介した通りパソコンの技術者でもないのですね。

海外出張を繰り返し、この業界に誰よりも詳しかったのです。

しかもどこで覚えたのか英語も堪能になっていたのです。

 

このベンチャー企業での8年間の経験がヤフーを急成長させた

礎になったと間違いなく思うのです。

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