起業家の勇気 その5
大阪有線は、いろいろ「突っ込みどころ満載の」ベンチャー企業だったのですが
元忠氏はそれをどんどん拡大していきます。
このあたりの経営手腕は「ちょっと昭和の時代の古臭さ」を
感じますが、読んでいて面白いところ。
昭和50年代には、社員7000人~8000人。
すでに売上高数百億円の規模です。
立派な大企業へと成長していったのです。
ここで逸話が紹介されていました。
「社長、そろそろ株式の上場をしましょう。」
と証券マンが日参したそうです。
ここ読んで私はすぐ思いましたね。
「もし大阪有線がここで上場を目指していたら日本の通信業界は
間違いなく変わった。」と・・・。
急成長してましたが、ご紹介したように「電柱の不正利用による違法性」が
ありますね。
どこの取引所もこんな違法性のあるビジネスを上場なんかさせません。
本気で上場公開を目指したなら、ここでその違法性を修正するために、
当時の郵政省と、電柱の使用契約をキチンと結んでいたはずだったのですね・・・。
実はこの本の主人公が、それに気が付いて後日かなり苦労して行った仕事でしたから・・・。
この元忠氏の経営者としてのずば抜けた能力は認めますが、
このコンプライアンスについて欠如していたのですね。
(当時はコンプライアンスなんて言葉も発想もなかったでしょうけど・・・)
その後もその郵政省と喧嘩し続けます。
怒った政府は「有線ラジオ法」を制定して、
大阪有線に対する規制を強化してきたのです。
しかし、それに対しても元忠氏はまったく聞く耳を持たなかったのです。
ついに1980年(昭和55年)に警察に逮捕されます。
さらに、政府は1983年(昭和58年)に有線ラジオ法を改正して、
大阪有線の事業自体の差し止めができるくらいの規制強化を
してしまいます。
それでも郵政省と争いは続きますが、
バブルの絶頂期と言われた1990年代の前半には、全国の90%を
網羅する一大ケーブルネットワークを作り上げていたのです。
売上はなんと600億円。
創業時にはわずか2チャンネンルで始まったサービスは
440チャンネンルまで拡大。
何よりも、
「北は礼文島から南は石垣島までという大阪有線のケーブルネットワーク。
その規模はNTTに匹敵する規模」
だったのです。
しかも、元忠氏は60歳手前の働き盛り。
本当は彼こそ日本の通信ビジネスを劇的に変えるリソーシスを
持っていたはずだったのです・・・・。
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