起業家の勇気 その6
大阪有線の創業者 宇野元忠氏は残念ながら病に倒れます。
末期がんと分かった元忠氏は、急遽次男の康秀氏に社長の座を譲ります。
このあたりの事業承継のお話は実になまめかしい。
ここでこの本の主人公である宇野康秀氏が、ようやく登場します。
康秀氏は1989年にリクルートコスモスに入社。
わずか1年ほどで退社し、インテリジェンスを創業していました。
しかもその時は、そのインテリジェンスの上場直前のこと。
当時の大阪有線は、日本中のいたるところにネットワークが
構築されていたものの、個人保証で800億円もの債務。
そして問題の不正利用の電柱が720万本。
でも、康秀氏は手塩にかけて育ててきたインテリジェンスを辞めて
大阪有線の社長になるのですね。
その不正利用の電柱の処理に、500億円もの費用と2年ほど時間がかかります。
ここなのですね。
この2年間の遅れが大阪有線のその後の運命を決めたのですね。
この本を読んでよく分かりました。
康秀氏は2000年4月社名を「有線ブロードネットワークス」に
変更します。
「光ファイバー事業」に本格的に乗り出したのですね。
ご紹介したように、全国に張り巡らされた通信網は民間では
この「有線ネット」しかなかったのですから。
また当時のやりとりも実になまめかしい。
ソフトバンクの孫氏もこの全国ネットに目を付け
「500億円出資する」
とか、あのソニーの当時の出井社長から
「3000億円出資する」
というような話もあったそうです。
それで2001年に、ようやく有線ネットの光ファイバー通信サービス
を始めたのです。
当時のNTTNの光ファイバーのスピード10倍、
料金は半額以下の4900円。
でもその頃のこんなことあったのを覚えていますか?
ソフトバンクの孫氏が取った、「YAHOO!BB」戦略。
「ADSLのモデムをタダで配り、2か月間ADSLのレンタル料、
使用料などをタダ」にする作戦。
そのせいでしょうか。
社会全体も光ファイバーからADSLへと変わっていったのですね。
しかも、通信業界の巨人NTTも光ファイバー分野に本格参入して
きます・・・。
この本を読んで思いましたが、ちょうど2000年前後は、
その400年前の日本と一緒ですね。
まさに「IT戦国時代」なのですね。
第三次産業革命と言われる「情報革命」が起こり、
数多くのIT起業家が誕生しました。
国策会社巨人NTTに皆戦いを挑んでいたのですね。
その覇権争いで、宇野社長と孫社長も熾烈な争いを繰り広げたのです。
戦国好きの私としてもこれはいわば「国盗り物語」のようで楽しいのです。
どっちが「信長」でどっちが「秀吉」か分かりますか・・・。
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