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2020年2月 5日 (水)

踊る町工場 その3

 

能作社長が就任する前の能作は、着色前の製品(生地)をつくる

下請け業者でした。

その能作が作った生地を問屋が引き取って、着色、研磨、彫金などの

手が加わり、仏具や茶器として出来上がった完成品を県外に持ち込むのが

「問屋」なのですね。

その伝統工芸が400年も続いていたのが「高岡銅器」なのです。

 

問屋の言うことを聞いていれば、普通には食べていけた訳です。

こういう業種は日本全国に多いでしょうね。

ただ、能作氏がするどいところは、伝統工芸の悪いところが

「ライフスタイルを無視した和へのこだわり」

と感じていたことなのです。

 

能作に転機が訪れたのが1999年(平成11年)。

高岡市のデザイナーの開いた勉強会でした。

そこで、イタリアのアレッシィというキッチンメーカーを紹介されました。

「技術的には負けていない・・・」

そう感じたそうです。

それに刺激を受けて開いたのが2001年(平成13年)の展示会です。

東京原宿で真鍮に旋盤、ろくろをかけたままの「花器や建水」の展示会です。

 

Photo_20200205102001

 

その展示会で作ったのが「真鍮のハンドベル」。

これです。

能作の「自社製品第一号」ですね。

これを作って、自社で売るということは、

「高岡銅器400年」の「禁断のおきて破り」。

 

下請け工場が直販するということは、

絶対にやってはいけないことだったのでしょう。

しかし、この本の読む価値はココにあります。

現状維持が得策ではなく、新しいことへのチャレンジなのですね。

冒頭書いた能作氏が「旅人」つまり、「よそ者」ということが

良かったのでしょうか。

 

翌2002年(平成14年)に社長に就任します。

社長という立場でどんどんチャレンジしていきますが、

ただ同業者からの軋轢は大変なものだたっと想像できます・・・。

 

しかし、満を持して発売したハンドベルは、

3か月でわずか30個しか売れず大失敗。

 

これはこれでよかったのではないかと思いますね。

失敗の理由は「日本のライフスタイルに合っていない」から。

 

しかも、マーケットの声が聴けたわけです。

ショップ店員から

「音色がとてもいいから風鈴にしたらどうか。」

その一言で風鈴にアレンジ。

Photo_20200205102002

そうするとたった3か月で

1個4000円もする風鈴が3000個も売れたのです・・・。

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