ユダヤの商法 その5
藤田田氏は、大阪生まれの生粋の日本人です。
でも「銀座のユダヤ人」と国内外の同業者から
呼ばれていました。
なぜ日本人なのに「ユダヤ人」と呼ばれていたのか?
この本で一番面白かったところですが、これは藤田氏を
語るには絶対外せない大事な「ネタ」なので、
ご紹介しておきましょう。
藤田氏が42歳の1968年(昭和43年)、
アメリカンオイルからナイフとフォーク300万本を受注しました。
納期は9月1日シカゴ渡しという条件。
アメリカンオイルとはスタンダード石油の親会社で
ユダヤ系資本の会社でした。
船便でシカゴに送るには、8月1日までに横浜港を
出せば間に合うことになっていました。
ところがそのナイフとフォークが出あがったのが8月27日。
当然、船便では完全に間に合いません。
契約の民、ユダヤ人にとって納期は絶対。神との約束です。
それで藤田氏は、当時で3万ドル(日本円で1000万円)かけ
ボーイング707をチャーター。それで間に合わせたのです。
翌年、同様の注文が来ました。今度は倍の600万本。
でもまた今回も納期が間に合いません。同様に飛行機をチャーター。
この二度のチャーターで藤田氏は大損です。
今の日本円にしたら数億円の大損でしょう。
でもその見返りに「銀座で約束を守る唯一人の商人」
つまり「銀座のユダヤ人」という称号を得たのです。
もう一つ藤田氏を有名にした事件がありました。
チャーター機事件より6年前の1961年(昭和36年)、
さらに若い35歳のとき。
暮れも押し迫った12月20日に、ニューヨークのベスト・オブ・トウキョウ社から
トランジスタラジオ3000台とトランジスター電蓄500台の注文を受けます。
条件は口銭3パーセントと、約束の期日は翌年2月5日。
注文品を当時新橋にあった山田電機産業に生産を依頼します。
山田社は暮れも正月も返上して生産。1月24日には船積みするところ
までこぎつけます。
ところが、ニューヨークから1月29日に突然キャンセルの電報。
ここで初めて気が付くのです。
「悪徳ユダヤ商人のバンザイ屋であったか・・・」
しかしひどいことする悪徳商人がいるのですね。
若干35歳の藤田氏も、完全になめられたのでしょう。
当然山田電機産業は商品の引き取りを求めてきます。
藤田氏はこれを転売することもせず、ベスト社と戦います。
そこでなんと、当時のケネディ大統領に
「直訴状」を発送してしまうのです。
「米国民による、何ら理由なき注文取消しに基づく、
当社の損害救済について」
この原文がもちろん掲載されています。
その英語力と、何よりもその行動力に驚きます。
3月中旬、山田電機産業は9400万円の負債を抱えて
本当に倒産してしまいます。
バンザイ屋の策略のために本当にバンザイしてしまったのです。
しかし、3月20日、藤田氏は米国大使館から呼び出しを受けます。
「実はケネディ大統領が、商務長官を通じて、あなたから直訴があった件を
解決するようにと、ライシャワー大使にいってこられたのです・・・」
驚きました。
こんな方がいるのですね。
「飛行機をチャーターしても納期に間に合わせたフジタ、
大統領に直訴した最初のニッポンのユダヤ人フジタ」
この二つの事件を通じてユダヤ商人から見直されて
本物の信用を得たのです。
なぜ藤田氏が45歳の若さながら、世界最大のハンバーガーチェーンの
日本のトップになったか、これでご理解いただけたでしょうか・・・。
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