マツダ 心を燃やす逆転の経営 その2
マツダの業績は坂を転げるように落ちていきます。
1991年には146万台まで伸ばした販売台数が
5年後の96年には半分の76万台へ。
94年には489億円もの最終損失を計上。
翌95年にも411億円にも411億円へ。
96年にはついにメインバンクである住友銀行が動き
フォードの傘下に入ります。(株式の33.4%を取得)
ついに、「アメリカに魂を売った」のです・・・。
因みに1991年に山本浩二監督率いる広島カープが
優勝し、その後の優勝は2016年の緒方監督まで長らく
低迷します。
個人的にはよく経営を手放さなかったのかと思いますね・・・・。
フォード傘下入りしたマツダの初代「車両先行設計部部長」
に就任したのが金井誠太氏。
この本の主人公ですね。
生粋のエンジニアで後に開発本部長になったあとは
開発管理担当、研究開発担当の役員になり、
さらに常務、専務取締役、代表取締役副社長、会長まで勤められた方です。
広島カープの「ミスターカープ」と言われるのが
山本浩二なら、金井氏は
まさに「ミスターマツダ」なのでしょうね。
「マツダ地獄」を自ら経験し、
その瀕死のマツダを救った方だからです。
それでも当時フォードから送られてきた外国人社長のもと、
新車開発のプロジェクトは全面的に見直されます。
「マツダデジタルイノベーション」(MDI)もその一つ。
要するに
「クルマの開発・実験・生産までをすべてデジタルデータで統合し、
コンピュータ上でやろう」
ということ。
なかなか先見の明がありますね。
今でいえば最先端の「AIの導入」なんでしょうか。
モノ造りを全部3D(3次元)化するのですね。
最終的には途中で試作車を作らずに、事実上の最終の図面の出図から
いきなり量産というのが目標。
これは世界中の自動車メーカーが目指いしていた先取りの計画。
でも実際は簡単ではなかったそうです。
検討が始まったのが94年。
フォードと提携する前からですね。
提携後の96年から本格的に始まり、2005年発売された
「ベリーサ」まで10年かかったそうです・・・・。
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