NHK「いだてん」と竹早高校
NHK大河ドラマ「いだてん」は毎週楽しみにしている番組。
日本初のオリンピックマラソンランナーという題材も
その理由の一つですが、最近わが母校「都立竹早高校」が
なんと三週に渡って出ているからなのです。
これでだいぶ「竹早」の知名度が上がりましたね。
マラソンランナーを引退した金栗四三が教師として赴任したのが
府立第二高女。つまり今の都立竹早高校なのです。
実は金栗さんが竹早にいたことをまったく知りませんでした。
竹早高校出身で有名な方は俳優の緒方拳くらいだったのです。
本当に金栗さんが教えていたのですね。
これから私のマラソン熱がまた上がりますね!?
この「竹早の名前入りハチマキ」はぜひ欲しくなりました。
これをしてフルマラソン走りたいですね。
日本記録が生まれそうです・・・!?
せっかくだから、初めてする竹早高校のお話。
私が卒業したのが昭和54年(1979年)ですから
もう40年も前のことなのですね。
一応進学校だったので勉強もしたけど
バスケットボールと囲碁に夢中になり、
青春を謳歌した高校時代。
共学で、もともと女子高だったせいか女子生徒も多かったし・・。
本当に懐かしく楽しかった思い出ばかりです。
ただ学校が狭く猫の額ほどの校庭しかなかったので
金栗さんには申し訳ないですが、当時陸上部はなかったのです・・・。
今でも付き合っている学友達も多いのですが、
忘れられない恩師をお二方ご紹介してみましょう。
化学の金子史郎先生。
竹早高校の卒業生で知らない人はないくらいの有名な先生。
愛称(つまりあだ名)はオメガ。
気難しい性格で女生徒のほとんどを「化学嫌いにさせる」特技を
持っていましたね・・・。
実はこの先生は囲碁部の顧問。
たぶん、当時の都立高校の教職員では一番強かったでしょう。
この先生と本当に打ちましたね。何百局と打ったでしょうか。
堅物の先生だったのですが、囲碁を通じてはやさしく接してくださった。
時間は見つけてはバスケットの練習の後もやっていましたし、
高校三年生の全国大会の直前に朝から晩まで打っていたことも・・。
全国で優勝したいというより、この先生のためにも勝ちたかった・・・。
ただ残念ながら決勝戦で負けてしまって、
悔し涙に暮れていた時に先生のかけてくれた言葉は一生忘れられません。
「いや~君ね。囲碁で全国優勝するのは東大受かるより難しんだ・・・」
実に進路指導先生の言葉らしい。
40年も経った今でもハッキリ覚えています・・・。
あとは数学の松原コト先生。
私が高校入学の時の担任ですが、ちょうどその年で定年。
でも、それから毎年のようにそのクラスの皆と先生のお宅に
遊びに行っていました。
もちろん、卒業後もその関係は続き、野村證券を辞めて
税理士を目指すことを話したら本当に心配してくださった。
それ以降ことあるたびに、手紙くれて励ましてくれました。
税理士試験合格した時は本当に心から喜んでくれました・・・。
残念ながらお二人の先生はずいぶん前に
鬼籍に入られましたが、大河ドラマのように
竹早の旗を振って、今でも私を応援してくれているような
気がいつもしています・・・。
竹早高校は本当によい学校でした。
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