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2019年6月 5日 (水)

マツダ 心を燃やす逆転の経営 その1

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自動車のお話です。
先月もあえて不得意な分野である「デザイン」を取り上げましたが、
実は「自動車」も不得意な方であえて読んでみました。

車については、地方勤務の時、必要に迫られて自動車を買っていましたが、
それほどカーマニアというより、ただ走ればよいという考え方。
「税理士だからドイツ車くらいは・・・」
と一時乗り回していましたが、それも今はホンダのエコカー。

運転自体もあまり好きでもないし・・・。

マツダと聞いてやはり車種もよく知らないのですね。
まあ、何といってもアニメ「巨人の星」を見て育った世代ですからね。
マツダ=広島カープ というイメージが強すぎて、
あえて避けていましたね。
東京人がマツダの車を乗ると、大阪人が「東京に魂売った」と
よく言われるように、
ジャイアンツファンから「カープに魂売った」といわれるのでは
ないかと・・・・。(すいません。)

題名の「逆転の経営」というのはまさに「逆転の広島」のようですね・・・。
・・・と野球の話はよいのですが、この本は真面目に
広島カープの話題は一切触れず、まさに「逆転の経営」そのもの。

今やその広島カープのように、マツダ自体の業績も絶好調なのですね。

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ではまずマツダの低迷時代のお話から。
バブル景気前の1981年。当時マツダは国内販売台数は
トヨタ日産には大きく離れますが、第三位でした。
ここに空前のバブル景気が訪れます。

時の経営者は「国内シェアの倍増」を狙って、
「B-10計画」を打ち出します。
つまり、10年後の1993年に、「国内シェア10%・販売台数80万台」
を目指したのです。

当時のトヨタが販売チャネルを5つもっていたので、
それにならって5チャンネル体制にしようとしたのですね。
当然、それに合わせて車種の開発。
「クロノス」、「アンフイニ」、「ユーノス」・・
すいません。個人的には車種がよく知りません・・・。

その後お分かりの通りバブル崩壊・・・。
販売台数を達成するために値引き合戦。
それでも売れないから、最後は従業員3万人に対して
販促を始めるまで・・・。
「1人1台買ってくれないととても目標台数は達成しない・・・。」
ひどいですね。

下取り価格が低いから一度マツダの車を買うと、
マツダから乗り換えられない「マツダ地獄」という言葉も
できたほどらしいです・・・。

このあたりからマツダ車の価値はどんどん低下・・・。
業績は低迷し1996年、ついに米フォードの傘下に入ります。
その後も大規模な人員整理に踏み切るなど苦境に。

まさに「マツダ地獄」・・・。

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