マツダ 心を燃やす逆転の経営 その3
フォードの傘下に入ってもマツダの苦境は続き、
2001年についに希望退職の募集に踏み切ります。
1800人の枠に2213人が応募。
この時がマツダの「どん底」だったのでしょう。
因みにこの頃は広島カープも5位が指定席の「どん底」・・・。
この頃マツダが使い出したキャッチフレーズが
「ZOOM-ZOOM」
これ今でも使っていますね。
広島市民球場のことを
「MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム広島」
というのですね。
「ZOOM-ZOOM」
とは子供がミニカーで遊ぶときに「ブーン、ブーン」と口にしますね。
それを英語で「ZOOM-ZOOM」
「子どものときに感じた『動くこと』への感動。憧れを持ち続ける方に、
楽しくなるような、心ときめくドライビング体験を提供したい」
という意味です。
その金井氏が新生マツダの第一号となる「アテンザ」の
開発主査に就任。
そしてその金井氏が掲げた「志」
「最高で超一流。最低でも一流」
というのは、当時のシドニーオリンピックの女子柔道で
金メダルを取った田村亮子の「最高で金、最低でも金」
をパクったそうです。
「野郎ども、一歩も引くな。俺がついているぜ」
という志です。
なかなか魅力的な上司ですね。「心を燃やす」とはこのことですね。
マツダ復活をかけた「アテンザ」の開発。
まさにNHKの「プロジェクトX」にでてきそうなお話でした。
こうして2002年5月に発売された初代アテンザはこれまでのマツダ車の
イメージを一新する大ヒット車となり、2代目に引き継ぐ2008年までに
全世界で132万台を販売し、
「RJCカー・オブ・ザ・イヤー」をはじめ国内外134の賞を受賞。
これでようやくマツダは復活します・・・・。
まさに「プロジェクトX」ですね。
「風の中の~♪ ス~バル~♪」
中島みゆきの歌が聞こえてきそうですね。
でもスバルでなくてアテンザですか・・・・!?
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