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2019年2月21日 (木)

魔法のラーメン発明物語 その3

安藤氏は終戦直後の昭和21年(1946年)
35歳の時にドラマの通りに、泉大津で製塩業を営みます。

この方は本当にベンチャースピリッツにあふれた方ですね。
もちろん、塩作りの経験はありません。
そこそこ塩は作れたらしいのですが、
ドラマのような上質の塩ではなかったようです。

またドラマと違うのは、当時から政治家のパイプが
あったようです。
彼らのアドバイスを受け、事業を拡大していきます。
名古屋に全寮制の学校を作ったり、大阪でも事業を起こします。

その後、ドラマのように栄養食品を開発していきます。
「ダネイホン」ではなくて「ビセイクル」というもの。
ペースト状のものをパンに塗って食べるもの。

その後、脱税で逮捕。
「若者に支給していた奨学金が所得とみなされ、
源泉徴収義務違反」

これはすごいですね。
本当にこれで逮捕ですから。
裁判になり、「四年の重労働」という判決。

????これは意味が分かりませんね。
当時は税理士という職業が確立されていなかったのでしょうか??

これは本人いわく、
「みせしめに使われたようだった」

まさにGHQの策略だったようです。
ドラマのように、本当に税務当局と争ったのですね。
京都大学法学部長を務めた黒田學博士に6人の弁護団を
結成してもらい、処分の取り消しを求めて提訴。
2年も争ったのですね。

その後本当に大阪の信用組合の理事長に。
史実に本当に基づいているのですね。

「もともとこの信用組合は金融業務の専門家がいない
素人集団だった。貸方がルーズだったこともあり、
あちこちで不良債権が発生していたのである。」

ドラマでは不景気のせいで、経営が傾いたように描かれたのですが
ちょっと違いますね。

信用組合は破綻し、理事長としての社会的責任は問われ、
財産を失います。


でもこの経験がその後生かされています。

日清食品は無借金経営を貫いたそうですから。
金貸しを経験し、金貸しの理論を知っている経営者は
本当に強いのですね・・・。

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