魔法のラーメン発明物語 その2
安藤百福(ももふく)氏。
1910年(明治43年3月5日生)
この方はなんと2007年(平成19年1月5日没)ということですから
96歳(数えで97歳)で亡くなったのですね。
憲兵に捕まって逮捕抑留されて瀕死の重傷を受けたのは
事実らしいので、それでも長生きされたのですね。
「チキンラーメン」は長寿の薬なのでしょうか・・・・。
この本は唯一安藤氏が書かれた本のようです。
書いた理由は、その直前に日本経済新聞の「私の履歴書」を
書いたことがきっかけだったそうです。
戦後の日本経済を支えた経済人でしたからね。
15年間再三この「私の履歴書」の執筆要請を受けていたものの、
断っていたそうですが、
「インスタントラーメンは二十世紀最大の発明と評価されているのに、
安藤さんが私の履歴書に出ないのはおかしい。
何か人に言えない具合の悪い事でもあるのかと思われますよ。」
という殺し文句でようやく書いたそうです。
日経に掲載されたら、案の定大反響それでこの本が出版されたのですね。
朝ドラではあえて隠されてますが、実はこの方台湾人なのです。
日本統治時代の台湾で生まれました。
実は幼い頃にご両親を亡くされています。
お父様は相当な資産家だったそうです。
兄が二人、弟一人の4人兄弟。
その後祖父母のもとで育てられたのです。
義務教育を卒業すると家業の手伝いです。
ということは大学を出ていないのですね。
驚きましたね。
「発明家」として有名な安藤氏が大学を出ていないのです。
祖母の家業は織物の仕事。
そこで商売の基本を叩き込まれます。
22歳で早くも独立。
台北市にメリヤス販売の会社を設立します。
商売は最初から大成功。
やはり安藤氏は商売の才覚に長けた方なのですね。
このあたりの台湾での仕事ぶりはNHKでは
あえてカットされています。
なぜならその後第二次世界大戦が勃発したからですね。
戦時中となり繊維の仕事がやりづらくなって
幻灯機の製造を始めます。
でもここで物資横流しの罪で本当に憲兵に捕まったのですね。
「ワナにかけられ拷問」・・・。
大変だったのでしょう・・・。
このあたりから史実通りに朝ドラは進みます。
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