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2019年1月10日 (木)

すごい経営 その2

事業承継の面白いお話の前に「玉子屋」の歴史から。


先代が昭和50年(1975年)に大田区大森に
一日50食程度の弁当屋さんをスタートさせたのが始まりです。


始めて2年経って、


「丸の内や日本橋のオフイス街にウチの弁当を売ったらどうか・・・」


とひらめいたそうです。
今ならそんなビジネスは当たり前にありますね。
でも、先代は銀行で働いた経験があったので、
それを思いついたそうですが、
なかなか先代は先見の明があったのですね。


昭和55年(1980年)に三井造船と契約できました。

当時三井造船は社員食堂があったそうですが、
「銀座の一等地に無駄ではありませんか?」
というセールストークで毎日600個の弁当を受注。

これでオフイス街での弁当販売に大きな弾みができたそうです。
これにより昭和57年(1982年)に一日2000食の
業界上位の弁当屋さんに。


しかし、この直後に食中毒事件を起こし、
テレビ報道もされ営業停止処分。
一時は倒産も覚悟したそうです。

しかし、その食中毒事件を契機に、再出発した玉子屋は
衛生管理を徹底するために機械化を進めます。


一方で菅野社長は野球漬けの毎日。
食中毒事件を起こした時は中学校二年。
シニアの日本代表にも選ばれて立教高校に進学。
高校一年生のときに甲子園出場初出場を果たします。

高校を卒業することには玉子屋の食数も8000食に増え
大企業へと成長していました。

それから約10年ほどで
先代は玉子屋をさらに成長させます。
当時は一食税込410円でしたが
食数は1万5000~2万食ほど。
年商は12億円。
利益は3000万~4000万円。
業界最大手で3万食と言うくらいですから
超優良企業に。


菅野社長はその10年間で立教大学で野球に打ち込み、
大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)とマーケティング会社で
修行。

平成8年(1996年)9月に先代に言い出します。

「俺、そろそろ玉子屋で働こうかな」

それで、平成9年(1997年)1月。
玉子屋に常務として入社。

でもこの菅野社長なかなかの方です。

27歳ながら最初の挨拶の際に古参の従業員の前で
先代(会長)の戒名を突然言い放ったのです。


「今のは私が考えた親父の戒名です。
今日をもって社長は死んだと思ってください」

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