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2018年10月 2日 (火)

秋の長州

台風で日本全国が大変な時に、週末何と慌ただしく山口県を
訪れていました。

山口(長州)は本当に行きたかったところです。
NHKの大河ドラマ「西郷どん」の影響ではないですが
やはり「長州」は日本近代史上、大事なところですからね。
実は、大河で一昨年やっていた「花燃ゆ」あたりから、
一度はその長州の中で特に、「萩」に行きたいと思っていたのです。

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行きたい理由はもうお分かりですね。
この方です。
吉田松陰ですね。
同じ吉田ですからね。
たぶん遠い親戚でも何でもないでしょうけど、
わずか29歳でこの世を去りながら、日本の近代国家に
多大なる影響を与えた方です。

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萩城跡から歩いて30分くらいのところに、
松陰神社があります。

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その奥に、「松下村塾」が当時のままの形で保存されていました。

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何だか、当時の激論風景が思い描けるような感じがしませんか。


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わずか8畳ほどの小さな部屋から、
伊藤博文、山形有朋らの多くの日本の近代国家を作り上げた方々を
教育したのです。

本当に萩の町はすばらしいところです。
戦時中に空襲を免れたせいか、ほとんどの名所旧跡が
そのまま残っているからです。


山口県は海に囲まれた魚が美味しい本当に良いところです。
でも、何でこんなに江戸からはるかに遠いこんな田舎から、(失礼!)
そんな多くの偉人たちが生まれたのだろう?
本当に不思議に思いますね。

奇しくも昨日ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった
「本庶佑教授」も山口県のご出身なんだそうですね。


Photo_2


吉田松陰の残した有名な「至誠」という言葉があります。


「精一杯の誠意で相手に接すれば、それで心を動かされない人はいない。
つまり、人を動かそうと思ったらまごころを持って、精一杯の心で接するべし」
ということなのです。

山口県の方は皆、吉田松陰と呼び捨てにせず「松陰先生」と
尊敬の念を持って呼んでいました。
きっと、小さい頃からこの「至誠」という教育を皆受けているのでしょうね。
山口を訪れて感じたのですが、県民の方々が皆やさしいのは
きっとそのためなのでしょうね。

私も吉田を名乗る以上、これからは「松陰先生」の言われる通り
「至誠」の気持ちを忘れずに生きていきたいと思います・・・。


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