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2018年6月 1日 (金)

日大アメフト事件に思う

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連日この話題で持ちきりですね。
私と同世代のNHKの大越キャスターが、


「我々の世代ではクラブ活動では死ぬ気でやれくらいは
当たり前でしたが・・・」


という発言を聞きました。

NHKだからまともにハッキリは言えないでしょうけど、
昔ならクラブ活動で、「シゴキ」、「ハタキ」くらいは当たり前だったと
いうことも本当は言いたかったのでしょう。

私も高校大学とバスケットボールに打ち込みました。
特に高校時代の練習は本当にキツカッタ。
高校のコーチなどはOBがボランティアでやっているようなもの。
指導理論など学んだことのない「素人コーチ」が
シゴクことこそチームを強化することだと勘ちがいしていたように
今さらながら思いますね。


地獄のような夏合宿を経験して

「世の中にはこんな苦しいことがあるのか」


その時はそう思いましたが、それはそれで、そういう経験が
その後の人生でどれだけ役に立ったか・・・。

ただもう時代が違うのです。
「体罰」とか「パワハラ」とかという言葉がなかった
昭和の遺物なのですね。

この事件で一番気になるのは、内田監督が選手に対する
「追い込み」のやり方ですね。
有望選手をレギュラーから外して「追い込み」をかけるのです。
日大ではこれを「はまる」と称するらしいのですが、
理不尽に「はまった」選手は顔つきまで変わるそうです。
何だか恐ろしい指導方法ですね。


アメフトの話とは変わりますが、先日、ある日本を代表する新聞社から

「野村證券の今後を特集する企画がある」

ということで、突然取材の申し込みを受けました。


私が野村證券を退職したのは1992年(平成4年)のことです。
もう今さらながら26年前のことなのですね。


「どうして私なんかに?」


思わず聞くと、記者曰く


「野村證券のことを振りかえると30年前の大タブチ、小タブチ時代に
遡らざるをえないのです」


「もう30年も前の話ですね。時代も違うし、今の野村證券も
知らないし・・・」


結局丁重にお断りしました。

天下の大新聞の記者でも、今やネット検索で記事を書くのですね。


「野村證券 脱サラ」


で税理士吉田信康を一発検索できますからね。
私のブログ読んで面白そうなネタになると思ったのでしょう。

こういうことまた書くと記者から取材されそうですが!?
30年も前の野村證券は、まさに体育会系そのものでした。
株を売るためにはシゴキもハタキもなんでもあり。
24時間まさに「死ぬ気で」働きましたね。
あと内緒ですが営業マンを追い込む有名な方法がありました。
これを野村證券用語で「ツメル」と言っていましたが、
何だか日大の「ハマル」を聞いて、野村證券の「ツメル」を思い出しました。

正直、体罰より辛いのがこの「ツメル」
上司が部下に対してネチネチしかも理路整然と
あれこれ1時間も2時間も説教するのです。
まさに理不尽な指導方法です。

「この契約取れなかったらどうするんだ!」
「会社をや・・・辞めます!」
「本当だな。聞いたぞ。死んでも決めてこい!」


内田元監督は私より5つ上の方。
何度も書きますがもう時代が違うのですね。

日大アメフト事件を見て野村證券のことを思い出したのは
私だけでしょうね・・・・。

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