どん底企業から東証1部企業へ その4
普通二度も倒産したら、完全にアウトですね。
取引先に多大なる迷惑をかける訳ですから、
まったく「市場から追放」となる訳でしょう。
でもなぜか新高化学工業は生き延びたのですね。
それを救ってくれた会社があったのです。
古くから付き合いのあった米山薬品工業です。
ただ正直なところは、
「新高化学薬品工業で多額の不良債権を出したということに
なれば、米山薬品工業の信用も低下することを
危惧した・・・」
と書いてありましたから、実際は潰れては困ったのでしょうね。
それで営業譲渡を受け、社員の雇用や業務は継続できたのです。
今だったら「民事再生法」などより強固な法律がありますからね。
何とか「ウマく」切り抜けたように思いますね。
しかも、
「米山薬品工業は、私たちの業務には口出ししませんでした。
独立した業務として自由にやらせてくれました。
仕入先についても原材料の供給は、米山薬品工業経由ではあったものの。
継続して供給してもらえ、何より、新高化学工業のブランドも
そのまま残ることができたのです。」
こんな破格の待遇はないでしょうね。
後年ニイタカは社是を「四者共栄」とします。
「企業というのは、お客様、従業員、取引先、地域社会
の様々な人の支えがあって成り立っている」
という考え方からくるそうです。
倒産を二度もした会社ならではの言葉なんでしょうね・・・。
倒産する前年の1972年(昭和48年)に
後にニイタカの主力商品となる「カエン」が誕生します。
「旅館の座敷の料理用に、固形燃料のようなものを使っている」
という情報から開発を取り組んだのです。
これはタイミングが非常に良かったのですね。
昭和48年当時は、会社の慰安旅行やバスツアーなどが
盛んになっていた時代です。
大勢の観光客が一斉に並んで食事をするとなると、
全員分の鍋をその場で温めることはできないのを
固形燃料があれば簡単に可能になるのです。
こうした時代情勢を背景にして、固形燃料の需要はどんどん
伸びていったのです・・・。
ただ申し上げた通り、翌年倒産。
さらにショッキングな出来事が起こります。
お分かりですか?
1973年(昭和49年)秋に発生した「第一次オイルショック」
原油価格が高騰し、世界経済が大混乱。
世に言う「トイレットペーパー騒動」
本当にどん底を味わった企業ですね・・・。
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