どん底企業から東証1部企業へ その2
ではこの会社は2度倒産していますね。
なぜ上場したのかというのを検証するのも大事かもしれませんが、
「なぜ倒産したのか?」
ということを確認することの方がもっと大事だと思うのですね。
いままで多くの経営者本をご紹介してきましたが、
ほとんどが「成功体験」です。
「私はこうして成功した・・・」
のような本ばかりですね。
まさに「勝てば官軍」。
経営者としてはいろいろ脚色して美化してしまうのですね。
逆に「こうして失敗した」と正直に書く経営者はいないのですね。
だからこそこういう本は大事なのです。
ではその失敗理由をよく見てみましょう。
ではそのニイタカのルーツから。
現在の社長は森田千里雄氏(昭和19年9月5日生)現在73歳。
その森田社長の長兄が「新高油脂」という
従業員が18名のヒマシ油の加工を行う小さな会社を経営していました。
しかし、得意先の倒産で多額の不良債権を抱えていたのです。
そこで不採算部門を切り捨てようとして設立されたのが
新高化学株式会社。1963年(昭和38年)のことです。
その不採算部門とは界面活性剤を中心とした商売だったのです。
もうこれで倒産の理由が分かりますね。
もともと不採算の部門ですから赤字からのスタート。
余程のことがないとリカバリーは難しいです。
実は私も税理士を20年やっているといろいろな独立を
見てきました。
独立の経緯は大事なのですね。
言い方厳しいですが、前向きの独立と後ろ向きの独立・・・。
完全な後ろ向きの独立ですね。
切り捨てられた部門で切り捨てられた人材が始めた訳ですから。
新高化学株式会社は9人で船出したものの、すぐ4人が辞め、
5人に。
本当にあやうい零細企業です・・・。
時代背景としては、合成洗剤の生産量が石鹸の生産量を上回った時。
また高度経済成長のあおりを受け、四日市ぜんそくなど「公害」が
騒がれ出した時代。
よって新高化学は「環境に配慮した食器用洗剤」を開発し販売します。
それがマイソフト。
(写真は現在のもの)
しかし、このマイソフトの当時の原価率はなんと80%。
これ聞いた瞬間にダメだと思いますね。
原価率80%の商売何てあり得ませんからね。
つまりまったくビジネスモデルが確立できていないのです。
社員の給料が払えず「○月○日に支払います」という小切手
を渡した・・・・。
仕事が終わったあと社長以下で夜9時までアルバイトした・・・。
もうこれ読んだだけで会社は危ういですね・・・。
今なら社員がすぐ辞めてしまうのでしょうけど、
良い時代でしたね。
そんな時代が2年続いたそうです・・・。
最後は銀行も見放して高利貸しに手を出す・・・。
もうやはりダメですね。
1970年(昭和45年)。設立7年で1回目の倒産。
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