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2018年4月13日 (金)

伝えることから始めよう その2

故郷平戸で家業のカメラ店を手伝うようになったのは
1974年(昭和49年)25歳の時。
カメラ店といっても、主な仕事はホテルの宴会でのスナップ写真や
観光地での記念写真を観光客に売ること。
当時はカラー写真が普及し始めていた頃だったのですね。


Photo


頼まれていないのに、こっちで500枚、あっちで700枚と
一晩で1500枚から2000枚もスナップ写真を撮って
それを徹夜で現像して、6時からの朝食会場で並べて売るのですね。

カメラ店というより、観光地で勝手に撮った写真を売りつけるような
言い方悪いですが「ヤクザのような」仕事ですね。

書きながら思い出しましたが、30年以上前に、新婚旅行で行ったハワイで、
奥さんと参加したサンセットディナー・クルーズで、
頼んでもいない写真を売りつけられました。
いくらか忘れましたが相当高かったと思います。
買わないとタダでは済まされないような感じで・・・(失礼)

これこそが「ジャパネットたかた」の原点なのです。
けっして高田氏を非難するわけではないのですが
ここからスタートなのですね。

こういうお仕事から、売上1700億円もの大企業に育て上げた
高田氏の才覚なのです・・・。
ここが面白いのですね。


学生時代からあれだけ必死に勉強した英語は一切関係ないのですね。
不思議と英語とはまったく関係のないヤクザのような仕事・・・。(失礼!)


学ぶべきところは、どうやったら売れるか必死になって
考えたこと。
この観光写真で真剣にマーケティングを学びます。
生きた経営学ですね。

1975年(昭和50年)27歳の時に4つ下の奥さんと
結婚します。
この奥さんと二人三脚でジャパネットたかたを発展させます。
長い間総務人事担当の副社長として働いたそうですから
この奥さんの影響は計り知れないのですね。

結婚して長崎県の松浦市という町で「カメラのたかた」の
支店を任されます。
人口も3万人ほどの小さな町。
支店はテナントビルのわずか3坪。

月商55万円ほどの3坪の店からスタートし、
大企業に発展させたのですから、本当にすごいと思いませんか?

ここで参考になるのは、
「一年で月商300万円にしよう!」
と二人で必死に努力したこと。

新婚旅行にもいかず、二人で必死に働きます。
本当に300万円達成した時は、奥さんと手を取り合って
喜んだそうです。


「できない理由ではなくて、できる理由を探そう!」


この方の強烈な人生訓です。
一生懸命やると、できることが見えてくるそうです。
三坪の店から始めてみませんか・・・。

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