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2017年11月30日 (木)

「100円の男 ダイソー矢野博丈」その4

創業後、矢野社長は2トントラックに、商品を詰め込み
ベニヤ板に商品を並べて販売します。

いつも朝4時ごろに出かけ、商品に値札をつけていましたが、
その時は朝から雨。
雨が上がって会場に到着したのは10時。
チラシで宣伝していた影響もあり、お客さんが殺到して、大混乱。
開店準備する時間もなかったのです。

「これなんぼ?」

と次々に聞く客に対して急いで伝票を見ますが、
何百もあって探せません。
客を待たせる訳に行かないから
社長の一言。


「百円でええ」

これ以降矢野社長が取り扱う商品は
すべて100円になったそうです・・・・。

これはテレビでも紹介されたことがあるくらいの有名なお話。

「なぜ百均ができたか」

という日本経営史上に残る逸話ですね。

ビジネスチャンスなんていうのはこんなもんなのですね。

「100円で売りための原価計算をとことん突き詰めた・・・」

という訳ではないのですね。
矢野商店という「屋号」の個人商店で苦労しながら
百均ビジネスを始めます。
ただ「百均」という商売は矢野社長の専売特許ではなかったのですね。
すぐ真似する業者が多くでてきます。

当時はスーパーの一角で催事的な扱いが多かったようです。
ただ、東京や大阪からやってくる業者は、
原価が20円か30円しかないものを100円で売っていたそうです。

それに対して、矢野氏は原価率を上げ、さらに商品をいっぱいに並べることで
他社と差別化。

この頃東京に初進出。
イトーヨーカ堂北千住店での販売で、その原価率から大成功。
これが転機となりました。

昭和52年(1977年)12月。
「株式会社大創産業」として法人化。

面白いのは社名を占い師が決めたこと。

「3画と12画にしたらいい名前になる」

それで「大創」

何だか嘘みたいなホントの話。
成功というのはこんなもんなのでしょうか・・・。

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