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2017年11月24日 (金)

「100円の男 ダイソー矢野博丈」その3

ボーリング場に働きながら、当時同級生がやっていたバッタ屋を
始めることになります。


「バッタ屋」とは倒産した企業や資金繰りが苦しくなった
企業の在庫品を格安で買取り、安値で売る商売。
このあたりから「百均」の原型がでてきますね。

結局ボーリング場も辞め、道路標識を設置する仕事や
日雇いの肉体労働しながら、このバッタ屋を続けます。
この頃まだ矢野社長は20台。若いですね。

さらに、そのバッタ屋を進化させた「サーキット販売」を
始めます。

この「サーキット販売」とは大阪あたりでトラックに
詰めるだけの荷物を詰め、地方を移動しながら販売する
というもの。
露店で仕入れたようなB級品を、地方の方に売りつけるような商売ですから
まあ物流の悪い、昔ながらの商売ということになるでしょうか。

「大阪屋ストアー」という親方の元で働きます。
面白かったのは、その親方は元会計事務所で働いた方。

毎晩そろばんをはじいて、何とか儲けようとします。

当時の移動販売は、「ショバ代」として売上金の1割を
支払う仕組み。
それをごまかして、安く払ったり、粗悪品を高値で
売りつけようとします。
移動販売ですからその場所にまた来るのは数年後のことですから
クレームが来る前に移動し続けるのでしょう。
そう考えると、申し訳ないですがひどい商売ですね・・・。

そのやり方に疑問を持った矢野社長は独立します。
ようやく、ここで「ダイソー」の原型ができましたね。
結局、その大阪屋ストアーは潰れてしまったそうです。

この経験があとで生きてきます。
自分のもうけを優先すると最後はそのしっぺ返しを食う
難しい商売なんだと・・・。

まだ29歳。昭和47年(1972年)3月に
ついに「矢野商店」を創業します。

でも、矢野氏は、やる気満々で創業したのではなく、
やはり弱気だったそうです。


「この商売は、いずれ潰れる」


いつもそう思っていたそうです。
何度も倒産の体験をして、この商売の難しさを感じていたからでしょう・・・。


(つくばマラソンまであと2日!!)

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