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2017年11月17日 (金)

「100円の男 ダイソー矢野博丈」その2

では、まず主人公の矢野博丈(ひろたけ)氏からご説明。


本名は栗原五郎といいます。
実は、商売を始めるにあたって改名しているのですね。


五郎という名でお分かりの通り、男5人女3人の末っ子。
中国の北京で、昭和18年(1943年)4月19日に生まれています。
現在74歳になるのですね。


父親は栗原基(もとい)。広島出身で阪大医学部を出た医者さんでした。
戦後日本に引き揚げ、実家の広島に戻ります。

医者の子というと裕福な家庭を想像しますが、
なかなか貧乏な生活だったらしいです。
高校時代はボクシングに夢中になり、
東京オリンピックのバンタム級強化選手に選ばれたほど。

ただ勉強は当然していなく、浪人して中央大学理工学部の二部に
なんとか入学。
ただ学費と生活費は自分で稼いだそうです。
新宿の淀橋市場でアルバイト。
稼ぎまくって有名人になるほど・・・。
でも驚きなのは学生時代に結婚してしまうのですね。


奥さんの苗字は矢野。
それで矢野五郎としたのですね。

ここの下り面白かったのですが、
「栗原という苗字より矢野の方が商売をやるには言いやすい。」

このあたり、もう自分は将来商売で生きていくという
覚悟があったのです・・・。

さらにその後「五郎という名前はやはり貫禄不足だ。」
と判断して、姓名判断の先生に頼んで、
「矢野博丈」
に変えたんだそうです。


卒業後、広島の尾道にある奥さんの実家の魚問屋を継ぐこととします。
しかし、この魚問屋はもうすでに左前の状況。
銀行からの借金はできない状況で親戚中からカネを工面します。
それでもダメで、ついに奥さんと2歳になる子供を連れ夜逃げ。
昭和45年(1970年)の年の暮れのことです・・・。

なかなか波乱万丈の人生ですね・・・。
夜逃げの経験があってその後大成功した経営者は
なかなか少ないですね。
でもそこも面白いですね。

東京に逃げ戻り、セールスやるもまったくダメ。
仕方がないので「ちり紙交換」をやります。

でもこの時はブームでそこそこ儲かります。
何となく覚えていますが、あの頃ちり紙交換がよくいましたからね。

ただここで、広島の実家から呼び出しを受け、
親戚のボーリング場のアルバイトをやります。

これも覚えていますが、私が中学生の頃は確かにボーリングブーム。

「リツコさん~♪ リツコさん~♪ 中山~律子さん~♪」

の時代背景・・・・。

ただ、なかなか百均はでてきませんね・・・。


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