誰がアパレルを殺すのか その4
昔話のつづき。
私の生まれた1960年代は、
「消費は美徳」
という国民的なスローガンがありました。
時代背景は戦後すぐの1950年代に
配給制を軸とした衣料統制が終わると、民間企業が
自由に服を作って売る時代となります。
三陽商会、オンワード樫山、そして昨日ご紹介したファミリアも
誕生し、神戸にワールドが誕生したのもこの頃ですね。
既製服の需要が急上昇したし、その主な販路となったのが
百貨店だった訳です。
「百貨店で服を買うのが時代の最先端」
となり、まさにブランドそのものになりました。
さらに懐かしいお話ですが、銀座みゆき通りに流行に敏感なものが
集まる「みゆき族」。そして私の年代なら憧れの「アイビールック」。
ついでにいうと、現在NHK朝ドラ「ひよっこ」でやっている
ミニスカートブームもこの頃。
そのあとアパレルの栄光の時代が続きます。
1970年代の「ケンゾー」、「イッセイミヤケ」に代表するデザイナーブーム。
1980年代のDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブームへと続きます。
誰もが百貨店のショーウインドーに並んでいるブランド物の
高級品をありがたがって買っていた時代ですね。
つまり、
栄光の1970年代。
熱狂の1980年代。
しかし、1990年代のバブル崩壊によって
アパレル業界は崩落してしまいます。
そのあとは御説明したとおりですね。
なぜこうなってしまったのか?
誰のせいで「アパレルは殺されたのか?」
本当に考えさせられてしまいましたね。
何も解決策が出ないまま、1990年代後半の
「ユニクロのフリース1900円」
でさらに決定打を受けてしまいます。
2000年以降のデフレという追い風を受けて
ユニクロは大躍進してしまいましたね。
さらにご紹介したとおり、その後SCが日本全国に大量に作られ、
多くのアウトレットモールもできたおかげで、
低価格の商品が全国で売られ、国民全体が低価格に
慣らされていきます・・・。
これが果たして「集団自殺」なのでしょうか・・・・?
長く続いた栄光の時代に何も手を打っていなかった
業界自体にも問題があったとしています・・・
« 誰がアパレルを殺すのか その3 | トップページ | 誰がアパレルを殺すのか その5 »
コメント