生涯投資家 その2
村上氏は通産省を退職する1999年までの3年間、
コーポレート・ガバナンスの研究をしていました。
コーポレート・ガバナンスとは、
「投資先の企業が健全な経営が行われているか、
企業価値を上げる=株主価値の最大化を目指す経営がなされているか、
株主が企業を監視・監督するための制度」
なのですね。
アメリカでは90年代に入ると、この株主が経営者を監視する仕組みとして
このコーポレート・ガバナンスという言葉が当たり前のように、
使われていたのですね。
ところが、日本ではまったく言われていなかったのです。
村上氏は役人の立場で、この制度を普及させることはできないと
悟ったのです。
つまり、投資家として自らプレーヤーになって変えていくしかないと
判断したのです。
通産省を退職して起業します。
設立の際に応援してくれたのが、オリックスの宮内氏。
45%も出資してくれます。
さらに、当時の財界のそうそうたるメンバーも協力。
日本マクドナルドの藤田田社長、セゾングループの堤清二会長、
リクルートの江副浩正氏、さらに福井日銀総裁ら・・・。
結局第一号ファンドは38億円もの資金を集めます。
若干40歳の元役人というだけで、これだけの人脈と
資金力はすごいですね。
この集めた資金で最初に手掛けた案件は、生糸メーカーの昭栄への
投資です。
上場会社は株価に発行済み総数をかけたものが、「時価総額」と呼ばれます。
つまり、上場会社としての市場価値ですね。
時価総額50億円程度の会社ですが、無借金で資産が500億円も
あることに着目しました。
資産の内訳は、保有していたキャノンの株式だけで200億円、
その他上場株や不動産など。
こういう観点で投資をするのが、村上ファンドなのです。
ここがポイントです。
こんな投資判断をする人は当時誰もいなかったのです。
「資金調達の必要もない企業が上場している意味がない。」
そこまで考えるのです。
そこで当時850円程度の株価であったところ、
2割程度のプレミアムをつけて「株式公開買付け」を行いました。
この株式公開買付けとはTOBと呼ばれるもの。
日本初の敵対的TOBです。
ところが、見事に失敗します。
6.52%としか株は集まらなかったのです。
ただ失敗はしたものの、村上氏の名前がこれで全国区になりました。
さらに株価も3倍にまで跳ね上がり、ファンドとしては大成功・・・。
さらに海外からも資金が集まってきました・・・。
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