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2017年6月30日 (金)

野村證券第二事業法人部 その6

野村證券に対していろいろ熱く語りたいことは
たくさんあるのですが、やはりすでに25年も前に
退職した身ですからね。そろそろまとめましょうか。


横尾氏がいまさら何でこんな本を書き著したのだろうと
考えてしまいました。

「オリンパス事件では私は悪くない。」

それを言いたかったのでしょうか。

「野村證券ではこんなに優秀なセールスマンだったのだ。
本当なら社長になるべきくらいの者がそんな悪いことするはずがない。」
と・・・。


世が世なら本当に、社長になってもおかしくなかったのかもしれませんね。
本人も何度も書いているように、
社長にまでならなくても、
「稲野社長、横尾副社長」このラインをきっと望んでいたのでしょう・・・。

25年前の野村証券は、確かに伝説のセールスマンが
数多くいました。
第五章「大タブチ、小タブチ ノムラな人々」
が読んでいて一番面白いところでした。


確かに書かれているように、昔の野村マンは絶対演歌しか
歌わなかったのですね。

それも、タイトルに「男」、「船」、「女」、「港」、「太鼓」が
つく歌ばかり・・・。
分かりますね。北島三郎や鳥羽一郎あたりですね。

つまり、「義理人情浪花節」を賛美する歌だけ
が歌うことを許されていたのですね・・・。


登場している「ノムラな人々」は皆知っています。
最後に内緒ですが、この中のある方(守秘義務があるので
もちろん誰とはいえません。)と税理士となってから
仕事上のお付き合いしたことあります。


お会いして最初にこう言われました。

「何で君はノムラ辞めたのだ・・・。
ノムラにいた方がデカい仕事ができただろう・・・。
何で税理士なんかに・・・・。」


まあそうでしょうね。
こういう伝説の方々には、

「税理士の仕事なんて絶対理解はできないでしょうね。」


1998年(平成10年)6月。
横尾氏は新宿野村支店長を最後に、20年間勤めた野村証券を
退職してしまいます。
その後の彼の仕事に関しては、正直まったく興味ありません。
オリンパス事件も理解する気もしません・・・。


ここでは詳細には書きませんが、
横尾氏が高崎支店長時代に、株式の長期保有を薦めたことと
野村の投資信託を売らせなかったことは、強烈な「暴露話」であり
痛烈な批判です。
それでも評価され、役員候補がなる新宿野村ビル支店長まで
上り詰めます。


新宿野村ビル支店長時代に、支店長会議で
当時の氏家社長言い放った発言はなかなか秀逸です。
ただあれを支店長会議で言い放ったのは、
もうすでに辞める覚悟だったのでしょう。

ソフトバンクへ移った北尾氏とともに、横尾氏は当時としては
あまりにも優秀すぎたのかもしれません。

証券不祥事の残り火がくすぶり続ける中、
野村證券はその後低迷してしまいました。
北尾氏や横尾氏がいたら・・・・。


自分の古巣をあらためて顧みることができた楽しい本でした。
今後の野村證券は後輩達に期待するしかありません。


ガンバレ野村證券!!

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