野村證券第二事業法人部 その5
1981年(昭和56年)に横尾氏を第二事業法人部に
異例の抜擢をしたのが田淵義久氏(いわゆる小タブチ)。
その年に担当常務になったばかり。
その小タブチさんが第7代野村證券社長になったのが
その4年後の1985年(昭和60年)。
私は1984年(昭和59年)入社の私にとって子タブチさんは
まさに「殿上人」、「神様」でしたね・・・。
横尾氏はその神様に相当可愛がられたみたいですね。
ただこの神様が損失補てんの問題で辞任してしまうのですね。
株主総会で「大蔵省のご承認を・・・」と失言したことが
きっかけでした。
これは以前ブログで詳細に書きました。こちら
株主総会の最前線で見ていたのが私でした。
この損失補てんのそもそものスキームは横尾氏が
仕組んだものだったのですね。これは驚きでした。
ただそのワラントを使ったスキームを詳細に書き表していますが、
これを通常の売買であると立証するような専門家は
当時の野村證券の社内にも社外にもいなかったと断言できます。
何よりワラント自体を理解している人も少なかったのですから・・・。
横尾氏自身はこの問題を危惧していたようですが、
当時の鈴木副社長の
「大丈夫だよ、横尾。うちは国税OBをたくさん押さえている。
国税局の下っ端が何を言おうとねじ伏せられる・・・。」
ずいぶんとひどい「暴露話」なのですが、
これは当時の野村證券の考え方であったのでしょう。
大蔵省の局長級を天下りで受け入れ、元税務署所長クラスを
たくさん税理士として抱えていたりしてましたからね。
「大蔵省のご承認をいただいているから
その下部組織である国税局には文句言わせない。」
と考えていたなら、国税局に対する大変な侮辱でしょう。
ただ当時の証券界全体を抑え込んでいた「ガリバー野村」としては
そんな不遜な考え方も蔓延していたと思いますね。
ただ子タブチさんがあのまま野村證券にいたら
野村はもっと発展していただろうし、横尾氏はもっと
偉くなっていたでしょうね・・・。
ここまで読んでいていろいろ考えさせられました。
当時ワラントの税務を理解している税理士は
日本にはいなかったでしょうね・・・。
ですから転換社債部に勤務経験のある私が、
もしあのまま社内で税理士になっていたら、本気で国税局と
争えたかもしれないのですね・・・。
私が在籍していた当時、野村證券の人事部に、
「金融ビックバンで金融ハイテク商品がどんどんでてくる。
社内税理士、つまりインハウスの税理士は絶対必要だ。」
力説したことを思い出しました。
ワラントに詳しい税理士が社内にいたら、
小タブチさんは救えたかもしれないのです・・・。
ただ当時の野村證券のトップは考え方が間違っていたと
本当に思うのです・・・。
第一次証券不祥事はこの税務調査からでした。
以前書きましたが、山一證券が破たんしたきっかけも
税務調査からでした。こちら
証券界は税金のことをないがしろにしていると
本当に思います。
(すいませんが、これは本音です。
多少不遜な考え方かもしれませんが・・・)
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