電通社員過労死 その2
昨日の電通社員の方はこんなにかわいらしい方なのですね。
こういう方に対してパワハラした上司は本当に許せないですね。
ワタミの時は会社が傾くほどの打撃を受けましたが、
相手は電通ですからね。
「電通の広告は見ないようにしよう!」
といっても無理でしょうからね。
武蔵野大学の教授が、この事件に対して
「残業100時間で過労死は情けない」
というコメントを出してしまって、かなり批判されているようですね。
これは当たり前なのでしょう。
過労死の認定ラインは80時間らしいですから。
昨日から自分の場合はどうだったのだろう・・・。
真面目に考えてしまいました。
1984年(昭和59年)、新入社員の私は野村證券高崎支店で
必死に働いていました。
毎日朝は7時には出勤。夜は10時か11時まで・・・。
「いったい残業時間は何時間だったのだろう?」
思わず計算してしまいました。
始業時間がたしか朝の8時40分。終了時間が思いだせないのですが、
たぶん5時?ざっと計算しても毎日7時間の残業ですね。
当時は土曜日も「半ドン」でしたが、土曜日も多分5時間くらいは残業していたから・・・
計算すると毎週40時間!の残業。ということは月160時間以上!!
よく過労死しなかったですね・・。
しかし当時は残業という感覚はなかった。
正直必死でしたね。
「同期には負けたくない・・・」
残業代欲しくて働いた覚えはないのですね・・・。
でもこういうこと書くと、また武蔵野大学教授のように
叩かれますね。
昔は昔・・・今は違うのです。
昔はほとんどがサービス残業で
パワハラなんて日常茶飯事でしたね・・・。つまり、
「証券会社自体がブラックでしたから・・・」(内緒・・・)
« 電通社員過労死 その1 | トップページ | 電通社員過労死 その3 »
こんにちは
残業ですか、私は医師として働いております。
研修医のころは、月曜から土曜まで7時出勤帰宅は早くて21時
日曜日は午前中3時間ほど病院で回診
加えて当直を月に10回しておりました。
こうなってくると家に帰るのがめんどくさくなり、仮眠室で寝るのがほとんど
自宅に帰るのは下着を取りにに帰るだけという2年間でした。(金は間違いなくたまります)
今も似たような方はいらっしゃると思います。
当時は何も疑問に思わず働いていましたが、今考えると異常ですね。
でもこういう兵隊がいないと回らないのが医療の現状だったりします。
投稿: OnsidekickRecover | 2016年10月12日 (水) 20時27分