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2016年6月 6日 (月)

キリンビール高知支店の奇跡 その2

ではその主人公、田村潤氏の説明から。

成城大学卒業後1973年(昭和48年)キリンビール入社。
最初の配属は岡山工場労務課。
4年間の岡山時代に「尊敬する上司に恵まれ」多くのことを学びます。
学んだことは二つ。

「現場には本質がある」
現場のリアリティを大事にし、机上論、美辞麗句を排する。

「人間の能力は無限大である」
それを引出し、会社の業績につなげ、従業員に素晴らしい人生を
歩んでもらうことが労務課の役目・・・。


なかなかサラリーマン人生ではこういう素晴らしい上司に巡り合うことは
少ないようです。
その後彼はご栄転し、本社労務課に勤務。もともと優秀な方だったのでしょう。


ただ、ここで「キリン批判」を強烈にします。
「当時の営業風土は、売れすぎて困っていた時代。役所以上の役所と
言われ、官僚主義、形式主義、現場より会議といった風土でした・・・」

この方のサラリーマン人生そのものなのでしょう。本社に6年半いたものの

「それなら、自分が売ってこい」

と配属されたのが、大阪支店の量販担当営業。
でも、そこで彼は業績を上げ、1995年(平成7年)東京本社の量販本部の
企画営業部長代理として、ダイエー、イトーヨーカドーと
セブンイレブンを担当します。


しかし、1995年はあの阪神淡路大震災、オウム事件があった年。
経済的には「価格破壊」が起きて何でも安売り競争があった時代。
スーパーはこぞって海外から安い「輸入ビール」を売り出します。


量販店企画担当としては、「安売りしろ!」との攻勢を受けます。
もちろん社内の上司からも「安売りしろ!」の命令。


それに対して歯向かったのですね。
結果的に「懲罰人事」として、高知支店への「左遷」


それから15年で彼は副社長まで上り詰めたのですからすごいですね。
この本は現在サラリーマンに圧倒的な支持を受けているそうです。

それはそうでしょうね。
安売りしなかったからこそキリンは生き残り、さらに彼も
左遷から奮起して出世したのですから・・・。

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